2010年 12月 26日

違和感

よくわからなかったなー。
皆の欲が画一化している(ベクトルが進む方向が同一)という話とか。
好意を持つ者同士が最期はうまくいかなかったらとか。
ネガティブとポジティブの記憶の方向性とか。
こうだろうという前提が硬直しているんだな。
そこから違和感がある。

こういう人たちは、
まず問題意識があって、それを察知して、なんらかの手段で
表出するというプロットがある。作品にする。
そのために繊細でなくてはという。
否定はしない。そうでもあるだろうと思う。


なんかよくわからないなあ。
もうすでに、作品にするということがわからなくなっている。
こういうことがあって、こう撮ろうという意思がない。
すでに紙の上にあって、そこからなんだなー。
自分が何を見たいのか。どう見ているのか。がわかってくるのは。
そこからどうセレクトして、どう見せるかということになって、
対象とか、その他後から決まってくる。
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# by stoneroses8010 | 2010-12-26 02:10 | その他
2010年 08月 13日

カラーでよみがえる第二次世界大戦

色つきの悪夢「カラーでよみがえる第二次世界大戦」を先まで見てた。

モノクロで見るものが、カラーとされたとき、何が自分のなかで変化して、何が変化しなかったのか。
戦争の悲惨さ、残虐性が伝わるところは変わらない。
戦争を映画やその他の編集映像で目にすることがあるせいか、それと近似するものがあり、スペクタクルな要素に現実味と作りごとが錯綜した。

なにより、想像が増した。あの瓦礫の山に翻る旗。一糸乱れることない軍列、声高に戦意を高揚させる独裁者とそれを見て怯える民衆。そのときその場に自分を投下させてみたら、どういったことなるのか。

あと、音が聞こえた。轟音とかじゃなく、ナレーションが続いているにも関わらず、命がはじけるような音がした。

あり得ないことなんだが、今からどことも知れぬ国がこの国に宣戦布告し、それをそこの国全体が鼓舞し、攻めようとしているところ、モニタで見つめ、緊迫する自分を感じた。
ただ己の正義を信じ、反射的に殺戮に向かわんとするイメージ。それが恐怖だった。
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# by stoneroses8010 | 2010-08-13 21:09 | その他
2010年 05月 17日

サバイブと編みこみ

人の死を身近で体験させられると、悲しい出来事であることは当たり前なのだが、その死が、私にどう生きていくのかを問いかけているような気がする。
もっと、単純に、生があることは当たり前でなく、奇跡に近いのだから、泥まみれになってもいいからサバイブしろと、体育会系の鉄則よろしく、背中を思い切り打たれるように叫びが浴びせかけられているような感じかも。

また、それは、その死と自分の生との対話だけでなく、その間に存在する他者との関係性を見ることができたときにも、生きるということの普遍性というか、純度の高いなにかを見せられているような気もする。

自分に関係するものの死を目の当たりにすることは、自分の死を意識化させることでもある。
死を意識化するということは、死は無なのだから、それまでのプロセスをよくよく考えてみろということである。
そこで、単純にやりたいことやりゃいいじゃんでは、だめなのだ。生きるということは、他者との関係性にあるということ。親、子供、恋人、友人、飲み仲間、ツィッターつながり、その他諸々。
自分の欲とその関係性をどう編みこんでいくのか。比重の差ということだけでなく、タペストリーのような編みこみ。
それを真剣に見つめ続けたとき、最期の時に、なにか次の人たちの中に残るようなことが成し得るのかもしれない。
ありがとう。

古屋誠一見にいこ。
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# by stoneroses8010 | 2010-05-17 23:52 | 我思ふ
2010年 03月 29日

雑感もろもろ

大概にしてほしいというぐらいのご無沙汰。

webというわけでもないが、自分のオフィシャルのページを作って、そちらばかり管理していた。ご覧になりたい方は、私の名前でググってください。

ツィッター。
最近、中毒気味なんですが、短文で文章を、ちぎっては投げすることは、反射や無意識に出てくる文章を形にすることであり、それを留めることに無意味の意味を感じる。
いまは、わからなくても、時間を経てわかってくるような。


近況。
2月にミオ展を終えて、秋には個展を控えている。
構想は、すでにできていて、スケジュールの進行と資金の調整に入る。あとDMなど。
すでに、次のシリーズをもう、暗室で試行錯誤しつつ、1年近くになる。これはほぼ毎週暗室で出来上がるイメージと自問自答しつつ、ブラッシュアップの状態。このシリーズのいいところは、簡単に言葉にならないところ。
前回に、コンセプチュアルなことをやって、ある程度の評価を得てきたので、今度はその逆を試みている。
前回は、生、力とポジティブな要素が多いが、今回はどちらかというとネガティブな面が見ようには見れる。
そこから、自分の根底にあるものが、点滅させることができるかどうか。
それを探る作業。

写真は、物質。
イメージだけでなく、その時にある空気、時間、人の関係性、歴史などすべてが含有されている。
ずっと、前から自分の奥底で知覚していたことが、ついこの間、とある方もおっしゃていて、一気に確信に変わった。


ブログを更新したわけは、ツィッターによる短文の反発。
反発は生きていくうえで、大切な作用。
ルネサンスもそれ以前の表象への反発。印象派もそれまでの写実の反発。
セザンヌは、人間(自分)中心主義への反発。
時代に対する反発の作用があって、新たな試みが続く。

最近のアートフェアの乱発気味には、海外の美術館の仕組みを日本の美術館に持ち込むような雰囲気があって、その意義とコンテンツの乖離加減にどこまで、アートと人とのつながりに寄与できるのか未知数。
「アート」という言葉を真剣に考えてしまう。
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# by stoneroses8010 | 2010-03-29 22:36 | photo
2010年 01月 21日

レビューその後

ポートフォリオレビュー行ったり、ツィッターで遊んだりで、いろいろ浮気してました。
ステートメントを作っていったが、受け取り方が(当然)様々で、説明的に感じたようでもあり、
なにを当たり前のことを言っているのという反応であったり。なかには説明を聞いてちがうと思ったであったり、
おぅおぅ、わかるという反応もあったり。

ステートメント発展の欧米スタイルを推奨するものもいるが、英米式の論文がこうだから、日本もこうあるべきという「世界標準」主義は、まず信用してない。

ステートメントでその形の土台(こんな生き方しているぜ。みたいな)を示しても、それと表現する形の筋の通りかたにまず神経が行くと思うので、
あまり有効とも思えない。

とあるレビュアーの方に、見せながら、こうだと説明したら、もっとそれ以上のことを言ってほしいという感じだったが、ずっと写真を見返しているうちに、うーん。それ以上のことはこっち(見る側)が考えることなのかもとおっしゃっていた。

なんかこれがひっかかっている。つまりは、伝える核なるものが仮に存在するなら(そんな単純なものじゃないのだが)、言葉は、その外縁をなでるイントロダクション的なものなのでなないかと思えてくるのだ。


他は、
自分が大判を使っている意味が、少しわかった。
最初は、ピントグラスを見る姿勢がモノと対峙することと類似しているため、フィジカルの一致がそこにあると思っていた。これはあながち、間違っていると思えないが、すべてでなかった。
大判で撮るという姿勢は、反射で撮る姿勢と異なり、撮影している意識が高い。
撮影までのプロセスが多く時間がかかるためだ。
だからここで、入力と出力という意識の違いがより明確になる。

私は出力に、スケールというものが頭にあった。
「撮ったイメージを見せる」というよりも、「撮った物質によって、与えるもの」がフィニッシュとしてあった。
だから大判で撮ったものは、そのスケールが伝わるように、試行錯誤した大きさに仕上げる。
そこで、ボケがあってもディテールが崩れてはいけないので、より細密に見せる機械を選択する。
(2月に展示するものの説明は、フィジカル的なコメントを書いたけど)

あと、「反射」という意味。
若手の作家が好んで使っているが、実は7割の人には伝わらない。
「反射」って何って言われる。

私の場合は、名前を呼ばれたら、自分が呼ばれたと思って振り向く行動と似ていると思っている。
これがやっかいで、名前によって、立ち上がる主体は異なってくる。
生活のなかでも、呼ばれ方によってそのとき、その場のアイデンティティが立ち上がるように。

名づけられることによって、その名前の生が立ち上がる。
私と世界のかかわり方はそんなもので、そのレスポンスが反射であり、その呼びかける側が被写体となっている。(んじゃないか?)
その時に呼ばれる名前は、私の中心に近い名前であり、それに対して振り向く、ような。
振り向くということから撮るというような。



アサヒカメラの竹内さんの言葉、いいな。
まだ見ていない無数の光景につながるという件が。
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# by stoneroses8010 | 2010-01-21 22:53 | photo
2010年 01月 18日

とにかく動いている。

年末から年始にかけて、いろいろ。
とにかく、動いている。正月感ゼロ。
食べた餅、1個。

たったいま、ヨコハマから戻ってきたばかり。
オフィシャルのwebも作ったばかり。
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# by stoneroses8010 | 2010-01-18 00:38 | photo
2009年 12月 24日

そことはどこなのだ。

文章にならないようにしてきた。
おこった出来事を言葉にしない。

すると、恐ろしいぐらい、なにも覚えていないことに気づく。
だから、人は言葉を残すのか。
残すことで安心し、忘れていくのか。

なにも覚えていない。
しかし、わずかな手触りみたいなものは残る。
それが形になっている写真があると、言葉以上
のことを思い出す。
写真は不思議だ。

ある冒険家が、もう冒険する場所はなく、
個人個人心を揺さぶられることをすることが
冒険になっていると言っていた。

主客が不可分になっている感じが、日本的だと思った。
西田哲学。

もっともらしい批評は、批評でない。
テレビ番組が、スポーツ新聞の記事を紹介して、さもわが意見と
言ってるみたいで気持ち悪い。
言葉は「走らせる」。それがちょうどいい。

12月は忙しい。忘年会が最も少なかった年だったのに。
東京でプリントを仕上げる。来年横浜で見せるため。
しかし、ネガ傷。どこかでつけてきて、昨日まで悶絶していた。
もう、展示形態までフィニッシュしていたけど、悶絶。

予備ネガがかろうじて見つかったが、それはそれでない。
撮りなおしても、それはそれでない。
なんだかよくわからないけど、日本的だ。

個展も来年控えているが、だいぶ先で、なんとなく
方向が見えてしまったので、テンションあがらず。

そんなこんなよりも、
人と自然の歴史がレイヤーのように積み重なって、
かつ自然としてあり続けるということに、すごく意味を感じる。
いや、意味以上のものがある。
それは何か。
そこに行った時、自分になにが起こるのか。
そこで、自分が形にできることはなにか。
そのことに、すごく関心がある。
そことは、どこなのだ。

もう数日もすれば、また旅に出る。年が明けるまで戻らない。
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# by stoneroses8010 | 2009-12-24 23:29 | photo