確証はない。それを信じるしかない。

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2008年 12月 28日

野口里佳さんのレクチャ イメージについて

今更ながらの11月末日にあった写真家野口里佳さのんレクチャの話。
写真新世紀の審査員もやっているので、その関係で来日。それに合わせうちにも来てもらっていたようだ。

自分のこれまでの作品に対しての解説や試行錯誤をお話しされていた。
その内容はわかりやすく、普段会話するような柔らかさがあった。
なんとなくだが、野口さんの作品全体には、まず知りたいということ、そしてイメージがあって、それにたどりつく行為として写真があるのかと思った。
それにたどり着けなれば方法を変えるし、自分が予期せぬところにたどりつくこともある。

野口さんのおじいさんの話が興味深かった。
おじいさんは毎日縁側で庭を見ていて、過ごしている。その風景は、ほかの人が見たら毎日変わりないように見える。しかし、おじいさんはあるとき、「今日はうちのすずめが来ている」と言ったそうだ。同じように見えるものでも、おじいさんには毎日違う展開が見えているのである。
その場でじっとしていても、絶えずその場は変化し続ける。その場にいることだけで自分だけに見えてくるものがある。
自分だけにこう見えるということ。それを形にするということ。

最近、イメージということをよく考えさせられる。
自分がこう見えていて、全身に感じさせること(視覚から知覚へ。その経験)があって、それを頭の中で考え、見え方を抽出して形とする。
しかし、イメージが強いと、視覚や知覚はそれに影響を受けてしまい、このプロセスの入り口から違ってしまうものにもなる。それは危険でもあり、またとんでもない変化を起こすときもある。

いくつかシリーズを撮っていて、このイメージを強くしたものについては、なぜだか外からの評価がいい。イメージを強くすれば、そのイメージに近い知覚体験をすると体が反射する。その反射で撮ったものは、考えや意識が介在しないので、たまにとんでもないものが撮れたりする。外から受け取った決定的瞬間でもなく、じっくり見すえたコンセプチュアルなものでもなく。

志賀理江子さんなんかはイメージが形として爆発したような写真を撮る人で最新のPHOTOGRAPHICAの記事を読むとイメージのことをさらに深く考えさせられる。
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by stoneroses8010 | 2008-12-28 22:39 | photo


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