確証はない。それを信じるしかない。

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2005年 05月 08日

曽我蕭白展 シビアな光

曽我蕭白」展を観る。日曜だったのでかなりの混み具合を予想していたが、2000年の「伊藤若冲」展や2002年の「雪舟」展ほどではなかった。「雪舟」では入場するのに30分待たされた。

曽我蕭白については、前のエントリにも書いた。よく知りたいなら辻惟雄著の「奇想の系譜」を読むといいだろう。名著である。
さて、内容だが、この辺がスゴイとかどうとかいうのは礼拝的鑑賞スタイルなのであまり言いたくない。スゴイってのは当然というランクですので。「平安人物誌」の安永四年版よりその名前を見せているところから、京都画壇で確固たる地位を築いていることは容易に確認できる。その前の明和五年版にはその名はないものの、その時期の蕭白は絶頂といってもいい作品を次々と残している。名高い「雲龍図」や「群仙図屏風」は明和五年以前に完成しているのだ。彼がもし明和時代より京都に定住していたら、明和五年版の人物誌にも彼の名があったとしてもおかしくなかろうと思う。

今回ゆっくり見て気づいたのは、光の表現が実にシビアなものだったかということ。「林名靖図屏風」では、松の幹や枝に対する月光のまわり方を意識して、影と光の具合を几帳面に描いている。そして、空間に金泥を薄く流すことで、静謐で上品な世界観を演出している。「富士・三保松原図屏風」にも同じく金泥による空間表現が見られる。この光を表現するために金泥の使用が、奇怪な人物表現よりも印象に残った。
また、この「林名靖図屏風」の梅樹の表現が図録には狩野永徳の「四季花鳥図襖」を引き合いに出して、それよりも奇怪な表現だと述べている。ならばこれに匹敵しうるは狩野山雪の「老梅図襖」ではないかと私は思う。

「達磨図」も個人的に好みだ。酔いを醒まして描いたとされる即興画らしいが、そこに最低限格好をつけようとする思いはなく、技術などを傍らにおき心赴くままに筆を進める魂から感性の創出を感じる。アクションペインティングにも似た表現である。

構図としては、「蝦蟇仙人図」。縦長の紙に蝦蟇仙人と彼が餌をやって躍らせている蝦蟇が描かれている。トリミングの仕方や人物と蝦蟇の配置とポーズで限られた紙の上で、最大限の表現を見せる。「六歌仙図」にもその人物配置の妙があると思う。

画題は、中国故事や説話を取り扱っているものが多い。このあたりは蕭白が特別というわけではない。しかし、ふてくされた「太公望図」のように先入観を砕く表現や、「蘭亭曲水図」に見られる人物や杯中心で描かれる画題が、周りの背景である山水をメインしたかのような俯瞰的描写で仕上げるのは彼独特のもので、人を喰った性格がよく表れていると思う。
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by stoneroses8010 | 2005-05-08 17:04 | arts全般


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