2005年 06月 19日

自戒の意味も込めて

以前どこかのblogで「ブログでは皆自分が特別の人間のように物事を語る」と評している人がいて、思わずディスプレイの前で膝を打った。

皆が皆そうであるとは言えないが、なぜそう自分を特別視したがると疑問に思うものも存在する。一日の出来事やそのとき思ったことを淡々と語っているものや、匿名性を犠牲にして自らのスタンスを示し思想を語ることは大いに敬服するものがある。そこまで明らかにしないでも、自らの職域や経験を活かし、物事を冷静に分析する、あるいは評するブログにも秀逸なるものが多く、これも良しとする。

一番散見されるのは、一時の村上春樹を気取ったようなよくわからないものだ。(これは別に村上春樹がよくわからないというわけでない。あれは立派なオリジナリティのある文学です。念のため。)いわゆる亜流というヤツである。写真では、知識の大小の加減でだれの何の影響を受けているか明確にできずとも、コンセプト、思想が借り物かどうかなんとなくわかる。それは、ブログにも通ずるものがあり、それなりにBlogを巡っている人間なら誰でも見抜くことができるだろう。なのに、書き手はそれを意識しない。内田樹氏に言わせれば、ラカンを引き合いにだされて、「私が語っているときに私の中で語っていることは、まず、そのかなりの部分が「他人の言葉」とみなして大過ありません」ということ。それも理解できるがどうも気に入らない。あらゆる分野で明らかに素人からみてもパクリを思えるようなものが、大成した試しはないだろ。
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by stoneroses8010 | 2005-06-19 00:48 | 我思ふ


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