確証はない。それを信じるしかない。

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2006年 02月 15日

デジタルである理由

私がBlogで掲載している写真の多くは、ビジュアルから入ったものが多い。これにコンセプトを練りこんで、一つの表現として作品化することが、杉本博司のいう「ヴィジュアライゼーション」に近似のものであると思う。

しかし。私のBlogで掲載している写真はビジュアル止まりである。単一の作品としてもコンセプトが十分であると思っていない。私が気になるところは、これが一眼レフデジカメで撮られているということである。デジタル技術を否定するつもりは毛頭ない。そういった技術は80年代より作品として使用されている。Jeff Wallなんかは現代美術志向でもあるから積極的に使っている。現在のドイツ写真もその傾向がある。

私が言いたいのは、「なぜデジタルを表現する上で使うのか」ということの説明がなく、デジタルが使われることに対する疑問である。そこをこれからはもう少し考え、訴えていく必要があるかと。もちろん第一戦で活躍する人はそのへんを弁えている。小林のりおなんかがそう。

デジカメは手軽である、紙、ディスプレイとあらゆる媒体にも転用しやすい。低コストでもある。しかし、これは理由にならない。
私のBlogで掲載されている写真はそれに答えていない。よって私の基準では表現として認めるわけにはいかない。自分で自分を批判するのもどうかと思うが。
しかし、最近は、それを(反省し)回避するためのデジタルを使う理由というのを徐々にだが写真に含ませている。いわゆる実験でもある。もう少し試行錯誤が必要かも。

なんだか、愚痴っぽくなってしまった。
というのも、富士フィルムがカラー、モノクロフィルム等の値上げに踏み切ったこともその原因にある。富士はその理由を、デジタル化による需要の低下や原材料の高騰という状況のなかで、今までの品質を維持して供給するために必要なことであると説明している。コニカミノルタが、カメラ事業から全面撤退してしまったことで、国内フィルムは富士とコダックが主流を占めることになる(元々そうであるという話もあるが)。真偽は別として富士はこれからもフィルム文化を死守すると企業をあげて訴えているから、それに乗っかってもよかろうかとも思う。
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by stoneroses8010 | 2006-02-15 23:50 | 我思ふ


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