確証はない。それを信じるしかない。

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2006年 03月 15日

イッセー尾形のWS

イッセー尾形と演出家の森田雄三が「素人を4日間の稽古で本番の舞台にあげる」というワークショップを行った。そのレポートがこちらで紹介されている。

「自分」の見せ方と題して、演ずるということは、舞台の上での役と自分の分離であることという演劇の原理。
人は、相手の話には興味はなく、他人〈第三者〉の話に興味を持つことという人間の特性。
「イヤ」「好ましい」と思ったりするときの他人とのズレ=「個性」
「名前」というものはその名づけられているものを立体化させる(想像させる)
などなど、演劇の基本原理から、実生活に活かせそうな自己啓発めいたものまで、考えさせられることの多い内容である。

私が、ここで注目しているのは「想像」である。表現者ではなく、表現を観る他者の「想像」。これって、表現者が己の表現を他者に見せる上で常に気にとめておくべきものでもあるまいか。
このワークショップを見て、真っ先に思い出したのは、写真家の中平卓馬の主張。
大雑把も甚だしく恐縮なのだが、彼は、写真に生きることの「記録」や自己と世界との出会いを見出し、普遍性を求めることなくその切り取られた限定的な時間、空間を他者にぶつけるという。
つまり、表現による投げかけは、なんらかの形で他者に勝手な想像を与えるものじゃないかということ。
さらに付け加えるなら、それが他者の生きている世界、文脈で培われた概念をブレさせることが面白いんじゃないかと思っている。
大げさに言えば「表現の社会化」

演劇で役者と観劇者の距離感(生きている次元)が乖離してはならないのと同様に、平面芸術においても、その表現者と観ている者のそれも乖離してはならないハズだ。
独善的な美しさ、世界観の主張には私は今のところ興味はない。
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by stoneroses8010 | 2006-03-15 01:56 | 我思ふ


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