2006年 04月 23日

マニアックであれ

土曜日から、日曜日にかけて、やってきたことは主に二つ。
3月の取材先のインタビューのテープおこしとフィルム現像。これを交互に行っている。
自分勝手に予定を組んで周りの人に迷惑をかけている。
テープおこしはなんとか終わるものの、フィルムがまだ残っている。

こんな2日間はカラダによくないと思い、気晴らしに京都芸術センターへ。
35歳以下国際若手アーティスト交流展を観て、情報センターで情報を集め、図書館で、畠山直哉の写真集に興じる。
畠山直哉は「写真はリサーチ、それを通じて対話する」という。このアプローチの仕方は好感が持てる。
撮るという実践の下地のなかに、途方もない思考と繊細な社会への感受性、それを世間に提示することによる力がある。
写真は見えているものだけを見ていると実は、なにも見えない。

私は最近、被写体と撮る主体の関係について、多少混乱している。
しかし、撮る主体のモチベーションとして、一つ考え付いたのは、「マニアックさ」である。
オタクのようなモチーフに対する愛情とも言っていいかもしれない。
一つのテーマに対して、ある複数の被写体をある程度の身体性を伴った写真的実践を繰り返し、複数の写真を提示したとしても、「そういうが、そのテーマに対してはあれもあてはまるし、これもあてはまるじゃん」という突っ込みが入ると、受け手に対して、こちらの狙いが拡散させられる恐れがある。
それよりも、複数の被写体をまとめた関係性でなく、一つの被写体(事柄)に対して、とにかく多種のマニアックなアプローチを繰り返し、出来上がったものをさらに出来上がったもので否定するブラッシュアップの実践が言葉を超えるんじゃないかと今は思っている。

何に対して、「マニアック」になるかであるが、これは抽象性を伴う概念では、独りよがりになりそうなので注意が必要。たとえば、「時間」とか、「流れ」とか。
それよりも「やかん」や「トンネル」に対して、具体的に見えているものに対して、なぜそうマニアックな感情を抱くのかという心構えのもとに、視覚的なマニアな視点をいじっていく、否定と賛美を繰り返すスタンスのほうがなにかが見えてくるのかもしれない。
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by stoneroses8010 | 2006-04-23 23:56 | photo


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