2006年 05月 03日

写真的動向を二つほど

ここ数日の写真的動向を二つ。

一つは、写真評論家飯沢耕太郎氏の講演があったので、それを聴きに行った。
題目は、デジタル写真の功罪と「スロー写真のすすめ」。
デジタル写真(飯沢氏はデジグラフィと呼ぶので、以下はそうする)には、改変性、現認性、蓄積性、相互通信性、消去性の五つの特徴があり、それぞれに対して、メリットデメリットがあると指摘する。
改変性 (メリット)フォトモンタージュのような表現の幅(デメリット)小手先、あきっぽさ、ドキュメンタリの改悪
現認性 (メリット)モニターで見ることで、カットを選別できる。(デメリット)撮る人間の意識の変化(緊張感の喪失、身体性の喪失)、偶然性の喪失。
など

私は、デジグラフィには、現認性の話で、飯沢氏が指摘していたように、身体性が緩んでしまっているような気がする。言葉では説明しがたいのだが、主体と一体になるものが欠けている。写真には、実践の過程において、偶然性、運にも似たようなその場のものを呼び込む何かが必要であり、時代を変えてきた写真にはそういった息吹が感じられる。デジグラフィはそれを、「選別」という方法で、撮る主体の意識下でコントロールしてしまい、呼び込む何かを自分の判断で消去してしまうのである。

「スロー写真」について、簡単に説明するとこうなる。
写真は、見る、撮る、現像する、プリントする、考える、見るという実践の繰り返しである。その一つ一つをかみ締めていこうと言うものである。
これには、賛同できるところで、この実践過程がホントに至福のときなのである。いいか悪いかは別として、世の中フォトグラファーになりたがっている人が多い。プロであることとアマであることとはそんなに重要なことなんだろうか。

その夜は、飯沢氏と飲む機会があったので参加する。
酔っ払いながらも一対一で話することが出来た。氏は、今の人はなんだかんだ言っても撮ってる枚数が圧倒的に少ない。グダグダ写真論振り回すじゃなく、とにかく撮って来いとおっしゃっていた。まあ、それは分野にもよるんではと思いながらも、とにかく質問攻めにする。
「ティルマンスは、いろんな意味で写真を変えたけど、もうティルマンスを普通にしなきゃならない。彼を普通にするような写真が見たい」といっていたのは印象的だった。

数日後、CASOへ。
後藤繁雄と椿昇のキュレーションによる写真展を観に行く。
「写真」が持つ「生々しさ」、「流動性」、「力」など、写真を写真たらしめている「起源の力」、
「はじまりの写真」を問う場(ひいては、「はじまりのアート」を問う場)を出現せしめたいと考えます。
がキュレーションの主旨。

一番面白かったのは、鷲尾和彦の「外国人向け簡易宿」のポートレートかな。「仕事」としての写真。それを伝えたいという意志が伝わる。
何かを伝えなければならないという使命感が感じる写真群。それを「仕事」と呼びたい。
あとは、現代アート、インスタレーション系のものが多かった。ティルマンスっぽくなってきたなぁという印象。
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by stoneroses8010 | 2006-05-03 21:40 | photo


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