確証はない。それを信じるしかない。

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2006年 05月 16日

近代いろいろ

以前の話ですが、万博にある写真表現大学で、美術史のスライドレクチャーがあったので、参加。

数回にまたがるものなのですが、およそ5時間ほどかけて、スライドで古代壁画の表現から、フォービズム、キュビズム、ポップアートまでを、解説つきでひたすら見て行く。
(セザンヌはやはり偉大。)

特に、近代の絵画表現のあり方を重視し、その社会的文脈のなかで写真という表現がどう登場し、どう発展していったのかが説明される。
解説をしてくれた方がおっしゃっていたことで、印象的だったのは、古い表現が決して古いものとして、時代の奥底に堆積されるのではなく、自分を取り巻くように並列に現代美術と存在しており、これから表現する人は、それぞれが等距離にあるように意識しなければならないということである。確かに表現には型もあるし、厳密に言えばオリジナリティは皆無といえる。要は、自分が表現するにおいて、なにをチョイスしていくかという作業が肝心という印象を受ける。
また、芸術というのは、時代の精神性との出会いであるという。それは政治的イデオロギーであれば、身分制度への批判という時代性でもある。絵画は再現性を写実主義である程度確保でき、印象派で主観的な領域を広げた後、自分の精神と時代を向き合わせることで、様々な表現を試みる。
そして、そこから、これからの表現は時代という文脈と精神性を踏まえたうえで、表現のあり方を知り、そして、もはや、我々が生まれたときより、すべて可視化されたイメージの世界と戦い続ける必要があると続ける。

私は、すでに芸術表現が時代性とクロスしながら構築されるものであるということは、ここで指摘されるまでもなく、様々な書物に書いてあることなので、あまり驚きはしないし、またそれに反する意見があるだろうこともわかる。
ここで問いたいのは、その「時代性」をどう捉えていくかということである。写真が現代美術と異なる点は時代の捉え方であると思える。たとえば、壁が剥落した表現。筆という表現手段から、崩れ落ちるような物質、もしくは画材を用いて、その現代の退廃性、崩れ落ちるものの美のあり方を提示するやや抽象的な方法がある。絵画の場合は、一枚モノで、色が単色であったとしても、抽象的なものとして成り立つが、写真で提示すると、一体何がしたいのかわからないものになってしまう。それを表現したいのであれば、場所を特定させたり、ポスターが破けているんだなとわかるようにするなど、ある程度の具体性を持たないと、なぜか認めてくれないところがある。この時代を捉える上での距離感とそのつまみ方というのが、絵画と写真においては、なにか違うような気がする。だから、絵画が時代をリンクした精神性をもった表現がこれであるとしても、写真でどう表現するかの参考にはあまりならないような気がする。それよりも、その精神性がどういったものだったかを個人の歴史的文脈から振り返った方が汎用性があり、今回の講義の内容と合致するところがあるかもと思ったりした。

80年代より、宇宙や体内とあらゆるところにカメラが介入してから、ほとんどが可視化されたといっていい。近代が、可視化からそれに基づく主観的、抽象的な表現と至ったとして、現代はネット、デジタル技術の進歩で存在しないものまでが可視化されているような気がする。そうしたイメージストックが限りなく、蓄積されたなかで、時代とどう向き合えばいいのだろう。
今はわからない。

そう考えていると、以前読んだ本の内容を思い出した。
確か、その本は、写真は、集中すればするだけ、視覚だけで対応すべき表現であり、たとえそれが不自然で不自由であっても、徹底的に集中してゆくことこそ、写真という表現に直結している。という内容だったと思う。これは、今までの写真のコンセプトや精神性から少し遠ざかったような考えだが、難しく考えるよりもシンプルに頭に響く。

以下は覚え書き。




古代
音、身体のコミュニケーションから絵によるコミュニケーション→祈りの表現 アミタラ壁画
ギリシャ彫刻は神の擬人化

宗教画の誕生→当時の識字率の低さ。ビジュアルイメージによる布教。それは教会にも描かれ、建築、絵画、宗教の一体化が進む。

宗教画からの離脱→レオナルドダビンチが市井の人を描く。(モナリザ)

ルネサンス→宗教の弱体、人間性の復興、王制の拡大につながる

バロック→絶対王政期、権力の誇示、ルーベンスなどの宮廷画家

ロココ→高貴、華麗 貴族を描く
ロマン→王制からの脱却。市民社会の復興、理想を描く。

写実主義→これまでは、宗教画など目に見えない空想を描いていたが、目に見えるものを描こうとする。同時期写真の登場。ナダールの肖像写真(高貴な人を対象)

印象派→主観の世界。屋外で見ているものを描くも絵の具を混ぜないなど方法をかえて主観を描く。

後期印象派
ゴーギャン 色彩の対比、デフォルメ
ルノワール 「画家は思想の使用人」
セザンヌ 「自然は円筒、球、円錐」「再現ではなく、実現」再現性は写真の役割、精神の具体こそが絵画の役割。

写真
17〜18世紀 カメラオブスキュラ デッサンに使用。フェルメール
19世紀 写真術の誕生 印画紙、フィルムの発明 ニエプス、ダゲールの共同開発
銀板に薬剤を付着させ、像を定着させる。(写真一枚の価値の重さ)→後にフランス政府が特許を買い取る。その技術を公開して、さらなる技術発展を目指す(文化政策の一つ?)

軍隊、探検家の記録写真に使用(一種のツーリズム?)
アメリカ南北戦争の「死の収穫」オサリバン(戦争写真の誕生)→死の非日常性を日常に持ち込む。

ピクトリアリズム→写真を芸術として認めない(ボードレール)に対するアンチテーゼ

絵画はそのころ、描写よりも精神性の追求を目指している。写真は絵画の芸術性を求めたというズレ

ストレートフォトの流れ
アジェ、エバンス ピクトリアリズムではなく、写真の独自の表現を目指すべき⇒ストレートフォトへ

アルフレッド・スティーグリッツ
フラットアイアンビルなど時代を象徴するものを撮る。絵画がテーマとして用いないもの、庶民の生活、社会の現状がテーマ
また、291ギャラリーなどをスタイケンと経営するギャラリスト、アメリカにマティス、ピカソなどの紹介など、アート情報の発信拠点。作品を持ち込む者も多数。
ウェストン、アダムスなど

ジャーナリズム
新聞で文章を用いて、伝えようとしても社会は動かない。そこで、写真を掲載し始める。
(当時の社会状況、劣悪な労働条件、差別風潮を明るみにしようとする)

「life」の創刊
(アメリカのフォトジャーナリズムとナチの迫害を逃れ、独逸より亡命してきた編集者との出会い)

スタイケン⇒ファッション写真、広告←イタリア未来派の影響

写真の価値とは、写真がどんな精神性を持っているのか」コレクターはその精神性をコレクトするもの。

アンセル・アダムス⇒ 自然保護の精神性 lifeの契約カメラマンを蹴って、ヨセミテの国立公園に住み着き、自然保護のための写真を撮る。

エドワード・ウェストン⇒モノクロームによる身体性、フォルムの美しさをスケールを同一にして比較。(女性の裸体とピーマン)→のちにメイプルソープへ



近代絵画の到達点

ヴラマンク⇒フォービズム
ピカソ⇒キュービズム 一点透視法から多面透視へ
ブラック⇒イメージ作成に紙に筆で描くのではなく、パーツを貼付ける。(一種のミクストメディア)

カンディンスキー⇒表現主義、抽象表現 内面性の表記、絵画の対象とならかった音の表現

未来派 来るべき機械社会の換気
ロシアアバンギャルド

デシャン⇒レディメイド 「芸術とは、新しい考え方の提示」「レディメイドの選択基準が芸術」 (ダダイズム 今までの表現の否定)

シュルレアリズム ダリ、マンレイ 記憶のテーマ→未来派へのアンチテーゼ(機械による明るい社会などない。内面の不安を表現)


瞬間写真の登場→戦争写真 「life」800万部のメディア
二次大戦中 日本兵の残虐性(捕虜を日本刀できる)を撮る。世界に発信、イメージによる世論の形成→戦争を左右

日本は合成写真により戦意高揚をはかる(浜谷宏)

二次大戦後
ファッション、デザイン、写真の融合 アービングペン

戦後の現代美術

欧州の戦争による疲弊により、アメリカがニューヨークがアートの中心となる。
が、戦争により、先達の画家たちが死亡、もしくは戦争加担のため、投獄されているため、習うものがなくなる。
アクションペインティングの登場 ジャクソンポロック、日本では具体 白髪一男、元永定正

ジャスパージョーンズ(感触、匂い、音などを取り込む。それは従来の絵画のテーマ、である内面、思想、宗教へのアンチテーゼ)

ポップアート アンディ ウォーホル 大衆化。一点ものである絵画の否定 版画

ランドアート (ポップへの反発)商業主義の否定

彫刻
神の具現から人の内面性へ(ロダン 考える人)
フォルムから内面性へ (フォルムは写真の表現分野へと)
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by stoneroses8010 | 2006-05-16 00:10 | photo


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