2006年 07月 28日

個人的動機について2

仕事終わり。発表のレジメがまだ刷り上ってもないのに、ギャラリストが写真家山沢栄子の作品分析をレクチャしてくれるものがあったので参加。

山沢栄子は明治生まれの構成写真(constructed photo)家。既存のモノを組み合わせ、色、光、質感で抽象的な世界を撮影する。

「不必要なものをそぎ落とした本質の表現」(それを「モダニズム」と解釈していた。)
「時代を超えた普遍性」(時代を経ても全然古く見えないもの)

(逆にhiromixのようなガールズフォトが10年ぐらいしか経ってないのに、すごく古臭く見えるのにな。)

とそのギャラリストの分析をまとめるとこの2点になると思う。
山沢はアメリカに留学経験もあることから、かなり当時の抽象美術の影響を受けていたと思う。活躍年代的にも、安井仲治らの「新興写真」(具体的にはそれから平井輝七や瑛九らの前衛写真にかけて)と被ることから、かなり抽象的な作品が並ぶのもその当時のムーヴメントがあったのかもと思う。

山沢はそのモノの全てを引き出そうとするため、そのモノ自体だけに対峙する。
レンガを撮影する時に、その質感を自分のイメージどおりにするため、一生懸命必要な部分を濡らしたり、磨いたりしていた。
つまり、本質を出すために、周りの小細工はなしに、モチーフのみに対峙するという「引き算」の思想があったように思える。
(あまりこのプロセス、好みじゃないけど)

動機について。
レクチャでは彼女の活動記録のドキュメンタリを見せられた。そこで、彼女自身が「芸術は芸術ですよ。社会との関連に、(私の作品は)あまり意味がない」と言い切っていた。
また、レクチャでは海外の女性写真家も含めたもうひとつのドキュメント(ハイヒール&グランドグラス)を見せられたのだが、そこに登場する一人の作家が
「(それを撮ったことに対する)私的理由なんてない。ただ惹かれたから。それだけです。惹かれたからこそ、それをどう最大限に伝えることができるか考える。それが作品」と言い切った点。

私はもう一度問いたい。
人が撮影するにおいて、その人の背景をこめた個人的動機が必要なのかどうかを。
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by stoneroses8010 | 2006-07-28 23:02 | photo


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