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2006年 12月 02日

エコール・ド・パリ

論文で忙しいといいつつも、写真撮ったついでに、美術館へ寄っておく。
「エコール・ド・パリ」@兵庫県立美術館

エコール・ド・パリ自体にこれといった形式がないためか、主題別のキュレーションだった。プリミティブ、子ども、人物、ジャングル、母性など。
作家は、ドラン、モディニアーニ、ヴラマンクとフォーヴィズムの流れを組むもの、エダン、モンザンなどキュビズムの洗礼を受けたものと大別され、両者の根源には、セザンヌの理論(絵画の秩序と輪郭)とプリミティヴィズム、そして当時席巻していた表現主義というムーヴメントを内包している。
今回はそういったものを見せますというキュレーションだったと思う。
だから、ユトリロは一枚もないし、シャガールは一枚しか出ていない。(私としては、シャガールが見たかったのだけど。)
高階秀爾の著書では、正規の美術教育を受けなかった「異邦人」画家がボヘミアン的生活を送りながら、アンデパンダン展にガンガン作品を発表していく人をひとつの括りにしているので、ヴラマンクはフォービズムの画家とされる。
また、高階によるとエコール・ド・パリ自体を表現主義の括りで論じる流れもあるようなので、正直キュレーション泣かせではあるんだなぁと思ったりする。
今回はモディリアーニとドランが多いのですが、スーティンに足が止まる。
スーティンは、リトアニアの画家で、モディリアーニに画商を紹介されるまでは極貧画家だった。多少生活が安定しても今度はナチから逃げることになって胃潰瘍で死んでしまうという一生。
その彼の作品「マキシムのボーイ」は、真っ赤な制服を纏った男性(ボーイ)を色彩と形態を少しデフォルメさせながら情動的に表現する。そこには、自分と同じ階層に対する目線、共感意識、制服という管理的象徴から抜け出ようとする個人の情動性が人体の輪郭を激しくうごめく物として表現されているようで、深さを感じてしまう。

余談。

私が小学生のころ、美術の授業で、教科書にある作品を模写するというものがあった。教科書に載っていれば、なにを選んでもかまわない。
そこで私が選んだのは、ユトリロの「コタンの袋小路」だった。
直線的だったから描きやすさで選んだのかな。
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by stoneroses8010 | 2006-12-02 22:49 | arts全般


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