確証はない。それを信じるしかない。

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2006年 12月 08日

図録の解説文

論文必死。気晴らしにblog
一つ一つの言葉の意味、使い方を吟味する。中間発表までのラフではかなりいい加減につかってたんだなぁと気づく。おかげでそのしっぺ返しを今食らっている。
事例をカタログ化する論文には今のところ、興味は無いので、とりあえず、極めて狭いフィールドをなるべく、深く探ろうと思っている。
ヒヤリングに出掛けているときに、とあるミュージアムの学芸員から言われたは、「論文とは論を成さないと意味が無い」ということである。
(私は勝手に、結論を立てるために、一つ一つの文節が証拠提示するものだと思っている。)
その学芸員の人は、「(そういう意味では)ミュージアムの図録の論文は、論文でない。ただのレポートである。あんなの誰が読んでるのかね」とおっしゃていた。
私も、それには半分同意。なぜ半分かというとそうでないものもあるからだ。
東京都写真美術館の『発言する風景 クリティカル・ランドスケープ』展図録(1993)で学芸員の笠原美智子氏が、こんな文章を添えていた。

「作品が特定の地域や時に限定され、その場所の問題や作家の視点が具体的に提示され、深まれば深まるほど、一般的イマジネーションやメッセージを獲得できる」

つまり、写真により風景を再現するだけでなく、その見えているものの奥にある未知の物語を見えるようにすることでないかということである。
西村清和は写真は「再現と暴露の両義に位置している」と言っていたが、このことと関連するだろう。
笠原氏のこの論は、私の写真の見方を変えたものの一つとして印象深い。


あ、論文に戻らないと。
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by stoneroses8010 | 2006-12-08 02:34 | 我思ふ


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