2006年 12月 10日

今日という日は忘れられない

写真のクラスへ、3ヶ月前から構想を練り直した作品群を持っていく。
午前中は、ギャラリストの方中心に見てもらう。テーマ性は明確にしつつ、かつ表現意図、時代性も踏まえながら話し見てもらったので、おおむね、方向性を理解してもらった様子。
視覚的表現については、テクニカル面で注文がついたが、これは想定内。
ただ、ダイレクトプリントでは、アンダーっぽくなるのが心配。

午後から、幸運にもレクチャに来てくれた森山大道に写真群を観てもらう機会が持てた。
持ってきた写真群を見てもらいながら、午前中と同じ要領で、作成意図を話しする。
まわりに大勢のギャラリーがいたのだが、あまり大勢を目の前にして、話すことは苦ではない。それよりも、いかに目の前の「daido」に意図を伝えることが出来るかに集中したら、もう体中は汗だらけ。

今撮っているものが、彼の作風とかなりかけ離れているものでもあるので、正直、どうかなと思っていた。R.フランク系の写真を目指すなら、それなりにいいアドバイスになるのではと思っていたが、やはり、この方はモノが違う。

「こうこう、こうしたら面白いと僕は思うんだけど」と言いながら、持ってきた写真をササッとセレクトすると、私が予想もしない違った流れの写真群が出来る。作成意図としかも合致している。これには、感動した。私はセレクトされた瞬間、自分がやりたかったこと、今回伝えたかったことが、クリアになったような気がした。しかも、それが第三者のセレクトによってである。

あと、他に数名見てもらっていたが、そのときも、話を聴いて、ササッとセレクトすると、その作品が一気に変わる。この瞬間の凄さは、まさに衝撃的。

森山さんは、「こだわりというものを明確に持て」とアドバイスされた。
そして、「ここで、自分はどんな気分だったのか」、「見たあと、どういったこだわりがあると思えるのか」ということをやりとりした。「こだわり」というのは撮る「癖」によって現れると指摘していたように思える。自分の「癖」をどう客観視できるか。
それを人に見せるということはどういうことなのか。人に見せるということを意識化すること。

ここでは、「自分のなかの内なるもの」を探るような感覚的なやりとりが続いているように思えるが違う。実に理論的。
つまり、テーマ、コンセプトという流れのなかで、場所に立って感じ、純視覚的にまずどう捉えるか、そして、それを突き詰めたあと、もう一つの捉え方を確認しなさいということだ。それが、最後にアドバイスしてくれた「写真を多面的に見ていく癖をつけなさい」ということにつながる。
また、それを必要最小限のコトバで話す。そして明確に伝わる。(ちなみに、森山さんは文章も恐ろしく上手い)

あと、「オレが撮るような路地裏とかどう?」とか笑って気さくにお話される方ので、かなりクダけて話ができた。そこで思わず、私は「森山さんのように大胆になれない」と失礼千万の返しをするも、笑って「オレも(君が撮るような)こういったところには撮りに行かないなぁ」とやり返してくれた。

今日という日は忘れられない。
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by stoneroses8010 | 2006-12-10 22:49 | photo


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