確証はない。それを信じるしかない。

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2007年 01月 14日

シャルル・フレジュ公開講座

やっぱり、二日酔いになった。少し頭が痛い。そして体がとてつもなく重い。
それでも、午前中に家事を済ませ、午後から写真のクラスでシャルル・フレジュが来て、公開講座をやってくれるので、それに参加。

シャルルの作品の説明が主になってくるのだけど、要約するとこんな感じ。
シャルルは、世界で、ユニフォームに身を包む人のポートレートを撮っている。
ユニフォームは人が特定の組織、コミュニティに帰属している表れであり、それは外見のみならず、言葉づかい、身体、やがては思想まだ、その属しているもののルールに侵食されていく。そのユニフォームが引き起こす身体への拘束性の視覚化が狙いのようである。
(ソシュールがいうには、言語が身体を拘束しているといっているのだけどね)
シリーズは、外人部隊やフィギュアスケートチーム、軍人学校、衛兵、そして力士。
人が、帰属するコミュニティによって言語から思考まで拘束されるだけでなく、異なるコミュニティに属する人に対しても、自分が属するコミュニティでの見方(それを、彼はステレオタイプと称していたが・・・?)をしてしまう危険性も気づいたと語っていた。
だから、そのコミュニティに入り込んで、実際に目をしたものを蓄積するように、見たまま撮影すること、表面をなぞることで、そういった先入観から脱したものを視覚化したいと言っていた。

質疑応答で、だれかが、本当の衛兵がユニフォームを身につけて撮影することと、そこらの若者を捕まえて、ユニフォームを着させて撮影することの差異は生ずるのかという質問があった。
シャルルは、衛兵を例にして、ユニフォームをまとう前とその後の顔つき、背筋などが違うといっていたが、差異の説明にはなってなかったように思う。
おそらく、この差異はこのシリーズでは明らかにならないと思う。それには、ユニフォームとは別の拘束性、つまりは一人の人間が衛兵に至るまでの歴史的文化的文脈が作用しているように思うからだ。だから、別のアプローチが必要だし、またそれが、人がある特定(生まれ育った土地、帰属する組織)の環境の影響を受け続けていることの深さだと思う。
こういうのも構造主義の一環なのかも。

帰りに同じクラスの人と話。3月の展示についての写真のサイズをどうするかということ。
お金がかかるからとか、作品のコンセプトを見合さずに決めていたみたいだったけど、写真はお金がかかるものだし(というより、何かを表現しようとする時は、金がかかる)、もう写真として活動をそんなに精力的にやるつもりがないなら、ここぞで使ったほうがいいと思うのに、そうしない。総計10万ぐらいで、4mの壁を使えるのなんてそんな機会あるわけじゃない。私は、作品と見合わせても、ギャラリストと相談しても最低大全紙というレベルなので、そうするつもりだが。枚数は未定。
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by stoneroses8010 | 2007-01-14 23:22 | photo


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