2007年 04月 17日

仕事観

職場の歓送迎会が続く。他の職場に異動して、早速その仕事を嫌がっている人もいる。
なんなのだろ。こういうとき、この間も話した仕事観についていろいろ考える。
独立することや自分で事業をやることをスゴイスゴイと連呼している人がいた。そりゃ、並大抵でないと思うけど、結局そのシゴトが自分にとってどうなのか、人生の時間と資力と労力を捧げてもいいと言い切れるものなのかどうかのほうが、サラリーマンだか、独立だかの形態よりも重要だ。だが、そういいきれる人なんてそういないだろうから、形態にこだわらず、自分にとってシゴトとどう向き合うかというスタンスとその実践の確立こそが重要なんだろう。

この間の飲み会で、とある人が、シゴトが面白くなってきたといっていた人がいた。その人は趣味の充実の時間が得られるため、その仕事を選んだものと思っていた。そんな人がなぜ仕事が面白いといっているかと質問したら、論理性と答えた。つまり、様々なパーツがあって、それを組み合わせて整合性を持たせるといった意味である。
それが性格にあうと言われればそれまでなんだけど、どうなんだろうと疑問に思った。つまり、決まったことのパーツを組み、整理整頓し、説明能力を担保するということになってくるんだけど、じゃあ、それはなんのためなのか?どういった将来性のもとの論理性なのか?仕事に面白いと向き合うなら、自分のやっていることの全体的な立ち位置みたいなのを把握し、それがどの方向に向いているものなのかが明確ならずとも自分で理想をもっていないとなんだかさみしい。その上で、オペレーションレベルの論理性じゃないのか。
ましてや、ヒエラルキやロジックのソリューションじゃ、幅広い対応なんかできないのはもはや明らかなのに。

私も自分の仕事はきちっともちろんやるし、論理性ももちろんとる。そう、それは当たり前であって、それよりも、そうあった上で、どう将来に向き合えるか。自分が理想、ビジョンをもって試行錯誤できるか、夢中になれるかということが、面白いといえる向き合い方なんじゃないかな。
そりゃ、そううまくいかないから、ネガティブなものでも、ポジティブな面を見つけて、面白くしていこうという考えもありだし、精神的には健全だけど、ネガティブだからこそ、それ以外のものにバイタリティのすべてを費やせる過ごし方を今は選ぶ。そっちのほうが、つまらん妥協をせずにすむ。

部署が変われれば、自分の細やかな論理性などすぐに消し飛ぶ。後のだれかがラクになるのはプラスだけど、自分にとっての仕事ってその場合なんだったのか。どうせ時間をかけるなら、オペレーションのスペシャリストじゃなくて、マネジメントやガバメントレベルのスペシャリストの視野や実践力を養成できる仕事に向き合うべきだ。そのほうが汎用性が効く。以前、他部署からのスペシャリストが来たのだけど、その部署のみの論理性とオペレーション能力のみで、言ったら悪いけど役にたたん人材がいた。そういった人は、自分の立ち位置すら簡単に見失う。
そうはなりたくないのだ。
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by stoneroses8010 | 2007-04-17 00:14 | 我思ふ


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