確証はない。それを信じるしかない。

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2007年 07月 01日

レクチャ(やなぎさん)

やなぎみわさんのレクチャを写真のクラスで聴く。
なんというか、自分の作品についての解説が主だったのだが、考えたことや感じていること、そのプロセス、思想など、奥深くまで語ってくださったのだが、非常にわかりやすく、理路整然としていた。かといって、インテリぶったところがまったくなく気さくな方。今まで出会ったことのない雰囲気だったので、なんだか圧倒された。(どっかの写真評論家とはえらいちがい)

面白かった話を数点。
○大変コンセプトがしっかりしているので、製作のとっかかりは思考やコトバによる作業かなと思っていたら、コンセプトができていて、それをいくらコトバでしっかり説明できたとしても、それはそのコトバの範疇にあって、コトバを越えない。だから、考えたとしても、それをビジュアライズさせることが重要とのこと。
○思考的なものを表すのは、美術では困難。思考的なもので分析や語りを入れるなら社会学や哲学の領域に近い。美術はそれよりももっと身体的で感覚的。要は思考と身体(感覚)のバランスが求められる。
○個人的な吐露(これをやなぎさんは「分泌液」と例えていた。うまい!)は作品にはあまり意味が無い。そういった内面よりも、人に見せるのだから、コミュニケートすることを念頭に入れた上で作品をつくる必要がある。
○(それと関連して)やなぎさんは、神戸の美大で准教授をされているが、そのクラスで、まずはじめに、演劇をするらしい。二人一組になって、三谷幸喜の「笑いの大学」をさせるのだそうだ。なぜ、美大で美術作家が?と思うだろうが、これには意味があって、美術はコミュニケーションだから、まず他人の価値を知らなければならない。そのために組ませて演劇させるという。「他人の価値」は、自分の作品に対してのモノの新たな見方を提示したり、理解者となったりときには裏切り者となったりする。個人でやれる範囲は知れているわけで、他人を自分の創造に組み込むことも一つのやり方というのだ。これは、やなぎさん自身のこれまでの経験に基づいているものでもある。

演劇の効用はわからないけど、確かに、個人的吐露やら自分の情感がさも特別のような作品がとかく日本は多い。それって、10ある手段のうちの1でしかないのに、そういったオーソリティがいまだに絶大だから、継続的に浸透している。それを変えようとは思わんのかいな。
○いつも思いついては、消えていくアイディア群を「フラッシュアイディア」(これいいな)と言っていた。その「フラッシュアイディア」をビジュアル化して、作品にしていく選定過程はどういったものか。その点についてやなぎさんは、残っていくのは自分にとって必要なものが自然に残っていくと自身の経験を語っておられた。もうこれは人それぞれとしかいいようないのかも。面白い方法として、多額に資金をつぎ込めば、その作品を成立させることが必然となると冗談交じりで話していたが、それもありだろう。
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by stoneroses8010 | 2007-07-01 23:19 | photo


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