カテゴリ:トリエンナーレ( 4 )


2005年 12月 11日

横浜トリエンナーレ

今日は10時から「横浜トリエンナーレ」を観にいく。

会場が広く、そして時間が限られているので、急いで観なければならない。
今日は川俣正と村上隆が「エフエム芸術道場」の公開録音をやっていたので聴きにいく。
川俣氏はアニメーションやデジタルクリエイトなどカネになるとわかって国の政策により振興されている文化行政のなかで、ここ(トリエンナーレ)にある用のないものをこういった形で見せることが重要であることを力説されていた。
また、表現というものは創る側と観る側に断絶があってその溝をどう埋めていくのか、作り手の記憶と楽しさを観る側に追体験させていくにはどうすべきかを考える必要があるとも述べられていた。私も同意する。
さらに、日本にはアーティストが圧倒的に少ない。日本の受け皿が頼りないからみんな海外に行ってしまうが、海外で作品を作るには国内で活動するよりも3倍しんどい。だから、どんどん海外に出て行くのも良いけど、そこに居座るのではなく、また戻って国内でも外部に発信するフレキシビリティが欲しいとも述べられていた。

会場には沢山の作品がある。印象に残ったものを少々
松井智恵のビデオパフォーマンス。横浜の港を歩く風景、倉庫(?)に佇む白い衣装をまとった彼女。その場所との密接な関係性を示唆するパフォーマンス。
彼女はシナリオがあって、それに応じて表現し編集するのではなく、その場の空間にめぐり合うことによってもう一つのストーリを作り出すことに興味があると言う。
その場に関わってどう表現するか、自分自身もそこに身を委ねることで変化していく作品の様が伺える。

ディディエ・クールボは、修繕されたベンチ、バスの停留所など「休息」をイメージさせる写真を展示し、それを世界各地で見つけたというベンチのレプリカを作製して、座って鑑賞できるインスタレーションを展示する。ハンドブックによるとクールボの関心は「公共空間にあって、その空間のなかでは個人が匿名性のなかに消えていく」とある。他の人と同様に座って写真を眺めると他人と同化し、ベンチのある場所を追体験するような「個」という存在を忘れる不思議な感覚になる。

ベアト・ストロイリは二つの都市(UAEのジャルジャと横浜の山下ふ頭)で働く人々のポートレートを壁一面に展示する。その横には、大通りを人々が行き交う映像を流している。2つあって一つはジャルジャ、もう一つは日本である。それを通じて彼は、何を感じるかは観る人に委ねるというが、グローバリズムによる均質化の現代で、ジャルジャでは異種の人種と文化が交錯しているが、もう片方には見られないという差異を見せる意図が見え隠れしているように思う。いや、というよりも日本では、異人種が行き交うことが少ないことこそ、世界から見れば、均質化とはかけ離れた現象であると言えるかもしれない。

ムダル・ナスルは1968年に作製された映画で、数人の男住民が集まっている村の民家の中で、彼らが受動的であることに対して、叱責している一人の男の映像を流す。その片方では、同一のセリフをコンマ数秒ずらして、一人の女性が、うなだれて集まっている男たちに対して、叱責する映像を合わせて流す。そこから1968年に使われた言い回しは現代でも有効であり、その間は何も変わっていないではないかと問題提起する。

ジャコブ・ゴーデルとジャクソン・カラインドロスが発表した天使探知機は愉快である。
カーテンで仕切られた部屋があって、20人ほどその部屋に入る。部屋が無音になると、部屋の中央にある電気がつくという仕組み。由来は「フランスでは会話が途絶えた時に天使が通った」という言い回しがあり、それを周囲が沈黙した時に電気がつくことで天使が近づいているということを可視化させる作品となっている。無論、電気はシステマティックに点燈が計算されているため、音に反応することなどないのだが、皆がそれをわかりつつ、沈黙を保とうとする様がなんとも愉快で、物音立てようものなら、その人物を睨み付けんするぐらいである。沈黙を愛でることの意義を訴えかけているようだが、私には、周囲のルールに同調できない人間に対する敵意なるものを感じた。

ミハエル・サイルストルファーのインスタレーションは意味深だ。港という特定の場所をイメージさせるタイヤを電動機に取り付け回転させ、倉庫の壁に押し付けている。当然タイヤは磨り減り、周囲に嫌なにおいを放つ。これは時間の消費というメタファーであり、次第に消耗していくもの、もしくは老化していく生命を示すという。私は山際 淳司の作品の一説で、知らないうちに磨り減った石鹸を目にしたとき、おいちょっと待ってくれという気持ちになる(うろ覚え)という部分を思い出した。生きる、存在する時間というのは思っている以上に短いものなのである。

米田知子とボランティアグループ「とまと」の震災写真展示。
被災地の現在のカラー写真。市内でもっとも被害の大きかった地域の空地、避難地跡の公園、遺体仮安置所に使われていた教室。一方では、震災一ヵ月後のモノクロ写真。神戸市役所、商店街、靴底。
米田知子は歴史と記憶に関するものをテーマとすることが多い。ここでも、そのときの記憶や時間の流れという不可視的なものを可視化する。社会派のドキュメンタリ写真とはちがって、あらゆる情報の編集による一つの答え、意見の提示という一方的なものでない。
米田が震災という一つのことに対して経験したこと、教えてもらったこと、自ら学んだこと写真という技術で表現する。そこには、壇上から熱弁を振るう論者としてではなく、同じテーブル座って思ったことを話しかけ、我々の意見にも耳を傾けてくれそうな姿勢がある。

KOSUGE1-16+アトリエ・ワン+ヨココムは巨大なサッカーボードゲームをつくる。子どもに大人気。当然一人で動かせるわけないので、一つのチームに5,6本の選手操作バーを見ず知らずの子どもたちが協力して、相手ゴールを目指すことになる。本気になってるお父さんもいたりしてなんだか楽しい。

なんだかんだ、観ていたら4時間経過していた。まだ、観たりないが次があるので会場を後にした。
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by stoneroses8010 | 2005-12-11 14:29 | トリエンナーレ
2005年 04月 29日

トリエンナーレ第1号作品の完成

本日、山下公園にて<横浜トリエンナーレ2005 キック・オフ・イベント>を開催される。
ベルギーのインスタレーション作家、ルック・デルー氏の新作を第一号作品として、その完成に伴い、イベントを行うとのことである。

ディレクターである川俣正氏の「ディレクターズメッセージ」によると、今後も「オープンに先立ち、様々なイベントや公開制作が行なわれ」るようだ。
「何かが常に同時進行している場所として展覧会場を位置づけ、そしてそれらの総体として展覧会というものを考えていこうというものです」ということから、このイベントもトリエンナーレ開催までのプロセスという枠組みでなく、トリエンナーレそのものとして位置づけてもよいように思える。
ディレクターズメッセージの「作家、作品、現場、観客がそれぞれインテンシヴに関わる」ことを目指したもので、これまで全国各地で見られる展覧会よりも、時間や空間が芸術そのもとして、作品とより親密になっている。

別の見方をすれば、観客と作品という従来の展覧会という集合体から、時間、空間を展覧会の構成要素として含ませ、これらによって観客と作品のヒエラルキ関係を緩和することを期待するものと言える。今後もこの緩和のために様々な要素が加えられることになっていくのだろうか。いや、そもそも空間と時間は観客と作品の関係に内包されているものであって、それを芸術として取り出す作業がトリエンナーレなどに見られるワーク・イン・プログレスなのか。
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by stoneroses8010 | 2005-04-29 07:18 | トリエンナーレ
2005年 02月 20日

横浜トリエンナーレの続報

開催まであと、約7ヶ月の横浜トリエンナーレの続報。

1)「YCAN」なる市民協働ネットワークを作り、様々な市民レベルの活動を取りまとめ、市民の活動の継続、発展を狙う。今回は活動の一環としてフリーペーパーの発刊、Webの開設を行っている。
2)市民広報グループ「はまことり」により、新ディレクター川俣正氏を参加させ「横浜トリエンナーレ作戦会議」を開催する。(主催は横浜市芸術文化振興財団)。

「作戦会議」自体は、昨日の話であり、もうすでに終わっている。
曽田さんのBlogを見ると、今回は川俣正氏がトリエンナーレのテーマとして掲げる「アートサーカス」について、少し輪郭がつかむことができる。それは、市民と観客とのコラボレーテッド・ワークが核になるようだ。

しかし・・・
「今回の出展作家の中には、見る側とのコミュニケーションのあり方を作品化するタイプの人たちも多く、また、全体にも、展覧会の構造が入れ子構造になっていて、アーティストが観客やボランティアや他のアーティストを招き入れるような、「展覧会内展覧会」的なものが多くなるだろうとのことだった。」
まだ、よくわからない。パヴィリオンを作家ごとに造る。あるアーティストのハコの中で観客と他のアーティストが参加し、作品化を進めるということであろうか。

コラボレーテッド・ワークを担当する芹沢高志氏は『とかち国際現代アート展「デメーテル」』の総合ディレクターである。その「デメーテル」のサイトのなかで芹沢氏は、<会期中、時間とともにハード、ソフトともに変化し続けた>と述べている。
また、YCANのサイトでの南條史生氏へのインタビューでも、前回の横浜トリエンナーレのアーティスティック・ディレクターとして「さまざまな事件が起こる前で、次々にそれを解決する決断力も必要になる。そういう細かい判断の積み上げで、全体が出来ている。それを通り抜けたという実感が、残る。」を述べている。事業を成立させるということは、その通りスムーズにいくことがないとわかっていながらも、用意周到に事前準備を整え、会期中のあらゆるイレギュラーな局面を乗り越え、うれしい誤算を血や肉としながら、無事終える、そして、参加した皆に、「もう一度」という継続発展の魂を灯すということである。そんなことを両者の意見から考えた。

また、南條史生氏はインタビューの中で、「国際展は地元だけ見ていたら失敗する。国際的な評価も、計算に入れなければならない。そういう意味でハードルは二つある。そこが、こうしたイヴェントの大変なところだ」と本質的な課題を挙げている。
実際難しい問題だと思う。国際展を続ける以上は必ず見据えておかなければならない重要な課題の一つといえる。しかし、あせってはいけない。まず一つのテーマに特化して、事業を成立させそのフィードバックを次回に生かす。そこでは「でかい花火を一発打ち上げること」に神経を集中させてはならない。その8割程度の花火を常に打ち上げる力をつけようと努力することのほうが事業の継続性の面から有益だからである。
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by stoneroses8010 | 2005-02-20 23:25 | トリエンナーレ
2005年 02月 03日

ふたたび動き出した横浜トリエンナーレ

さてさて、なにかとその開催が危ぶまれている横浜トリエンナーレですが、こちらのblogにあるように再びその方向性が示されたようだ。
(「トリエンナーレ」とは、3年に一度行われる国際現代美術展)

<経過>
第2回横浜トリエンナーレのアートディレクターだった磯崎新氏が主催者側(横浜市)と対立し、その職を辞したのは昨年の12月。
従来の国際展では、キュレーターである複数のアーティストディレクターがコンセプトを固め、それに見合ったアーティストを選定するのだが、昨年の7月にディレクターに就任した磯崎氏は、キュレーターではなく、世界各国の美術財団等にアーティストの選定をさせ、そのアーティストの紹介に建築家をコラボレートさせるという構想を持っていた。実際に世界各国の団体に諮りかけていたらしく、それなりの好感触も得ていたようだ。しかし、結局準備期間が足りないことを理由にさらに1年の延期を願い出たが、主催者側は2005年の開催を明言。氏は今年開催可能な代替案を提案したが暗礁に乗り上げ、やむなく辞職。そして、川俣正氏へのアートディレクターの交代となった。詳細の経緯については、これこれ

さて、今回のこの事業再編成を経てうまくいったとして、トリエンナーレは成功といえるか。
そうとはいえない点がある。
主催の一つである文化芸術創造都市事業本部では、今回の迷走劇の原因とも言える「場所の確保」が今後も課題であると述べている。また、行政に見られる2、3年サイクルの人事異動により、事業のノウハウが継承されないことを防ぐために、市の内部組織に入れず、専門組織として独立させることも必要と述べている。
このことから、今回のトリエンナーレが内容がよく、無事、盛況のうちに終了したとしても、そのことが、次のトリエンナーレの円滑な事業運営につながるかといえばそうではないということが言える。いまだ、この事業は、その内容を吟味して、次をどうしようかという継続的事業運営ができるレベルではなく、次回の開催が不確定な中小の自治体文化行政の事業で見られる「イベント性」が強く、長年継続されている事業に内在する精神性がまだ成熟してないようだ。
その場しのぎのやっつけ型事業遂行が成功とは言えない。

横浜トリエンナーレは横浜市が掲げる文化芸術による街づくり事業「文化芸術創造都市 クリエイディブ・シティ・ヨコハマ」の一環として扱われている。他には、歴史的建造物をアートスペースとして活用する「bankart1929」事業などがある。
これら事業を運営する本部は時限的組織であり、2、3年の活動の査定を経て、新しい局として組織化されるようだ。トリエンナーレもその実績として考えれば、関係者の熱の入れようも理解できる。が、どうなのだろうか。
「指定管理者制度」の完全施行も近づいている現在、「bankart1929」のような公設民営の事業の拡大や実験的展開の工夫を施したほうが、文化行政やアート系NPOの活性化につながり、より多くの人にアートを享受する多様な機会を提供することになりはしないかとも思ってしまう。

話が少しそれてしまった。とにかく、横浜トリエンナーレはまた、動き出した。どのような流れになろうとも、その経過は観察し続けるし、無論開催予定の今年9月には見させてもらうつもりだ。
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by stoneroses8010 | 2005-02-03 23:07 | トリエンナーレ