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2010年 03月 29日

雑感もろもろ

大概にしてほしいというぐらいのご無沙汰。

webというわけでもないが、自分のオフィシャルのページを作って、そちらばかり管理していた。ご覧になりたい方は、私の名前でググってください。

ツィッター。
最近、中毒気味なんですが、短文で文章を、ちぎっては投げすることは、反射や無意識に出てくる文章を形にすることであり、それを留めることに無意味の意味を感じる。
いまは、わからなくても、時間を経てわかってくるような。


近況。
2月にミオ展を終えて、秋には個展を控えている。
構想は、すでにできていて、スケジュールの進行と資金の調整に入る。あとDMなど。
すでに、次のシリーズをもう、暗室で試行錯誤しつつ、1年近くになる。これはほぼ毎週暗室で出来上がるイメージと自問自答しつつ、ブラッシュアップの状態。このシリーズのいいところは、簡単に言葉にならないところ。
前回に、コンセプチュアルなことをやって、ある程度の評価を得てきたので、今度はその逆を試みている。
前回は、生、力とポジティブな要素が多いが、今回はどちらかというとネガティブな面が見ようには見れる。
そこから、自分の根底にあるものが、点滅させることができるかどうか。
それを探る作業。

写真は、物質。
イメージだけでなく、その時にある空気、時間、人の関係性、歴史などすべてが含有されている。
ずっと、前から自分の奥底で知覚していたことが、ついこの間、とある方もおっしゃていて、一気に確信に変わった。


ブログを更新したわけは、ツィッターによる短文の反発。
反発は生きていくうえで、大切な作用。
ルネサンスもそれ以前の表象への反発。印象派もそれまでの写実の反発。
セザンヌは、人間(自分)中心主義への反発。
時代に対する反発の作用があって、新たな試みが続く。

最近のアートフェアの乱発気味には、海外の美術館の仕組みを日本の美術館に持ち込むような雰囲気があって、その意義とコンテンツの乖離加減にどこまで、アートと人とのつながりに寄与できるのか未知数。
「アート」という言葉を真剣に考えてしまう。
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by stoneroses8010 | 2010-03-29 22:36 | photo
2010年 01月 21日

レビューその後

ポートフォリオレビュー行ったり、ツィッターで遊んだりで、いろいろ浮気してました。
ステートメントを作っていったが、受け取り方が(当然)様々で、説明的に感じたようでもあり、
なにを当たり前のことを言っているのという反応であったり。なかには説明を聞いてちがうと思ったであったり、
おぅおぅ、わかるという反応もあったり。

ステートメント発展の欧米スタイルを推奨するものもいるが、英米式の論文がこうだから、日本もこうあるべきという「世界標準」主義は、まず信用してない。

ステートメントでその形の土台(こんな生き方しているぜ。みたいな)を示しても、それと表現する形の筋の通りかたにまず神経が行くと思うので、
あまり有効とも思えない。

とあるレビュアーの方に、見せながら、こうだと説明したら、もっとそれ以上のことを言ってほしいという感じだったが、ずっと写真を見返しているうちに、うーん。それ以上のことはこっち(見る側)が考えることなのかもとおっしゃっていた。

なんかこれがひっかかっている。つまりは、伝える核なるものが仮に存在するなら(そんな単純なものじゃないのだが)、言葉は、その外縁をなでるイントロダクション的なものなのでなないかと思えてくるのだ。


他は、
自分が大判を使っている意味が、少しわかった。
最初は、ピントグラスを見る姿勢がモノと対峙することと類似しているため、フィジカルの一致がそこにあると思っていた。これはあながち、間違っていると思えないが、すべてでなかった。
大判で撮るという姿勢は、反射で撮る姿勢と異なり、撮影している意識が高い。
撮影までのプロセスが多く時間がかかるためだ。
だからここで、入力と出力という意識の違いがより明確になる。

私は出力に、スケールというものが頭にあった。
「撮ったイメージを見せる」というよりも、「撮った物質によって、与えるもの」がフィニッシュとしてあった。
だから大判で撮ったものは、そのスケールが伝わるように、試行錯誤した大きさに仕上げる。
そこで、ボケがあってもディテールが崩れてはいけないので、より細密に見せる機械を選択する。
(2月に展示するものの説明は、フィジカル的なコメントを書いたけど)

あと、「反射」という意味。
若手の作家が好んで使っているが、実は7割の人には伝わらない。
「反射」って何って言われる。

私の場合は、名前を呼ばれたら、自分が呼ばれたと思って振り向く行動と似ていると思っている。
これがやっかいで、名前によって、立ち上がる主体は異なってくる。
生活のなかでも、呼ばれ方によってそのとき、その場のアイデンティティが立ち上がるように。

名づけられることによって、その名前の生が立ち上がる。
私と世界のかかわり方はそんなもので、そのレスポンスが反射であり、その呼びかける側が被写体となっている。(んじゃないか?)
その時に呼ばれる名前は、私の中心に近い名前であり、それに対して振り向く、ような。
振り向くということから撮るというような。



アサヒカメラの竹内さんの言葉、いいな。
まだ見ていない無数の光景につながるという件が。
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by stoneroses8010 | 2010-01-21 22:53 | photo
2010年 01月 18日

とにかく動いている。

年末から年始にかけて、いろいろ。
とにかく、動いている。正月感ゼロ。
食べた餅、1個。

たったいま、ヨコハマから戻ってきたばかり。
オフィシャルのwebも作ったばかり。
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by stoneroses8010 | 2010-01-18 00:38 | photo
2009年 12月 24日

そことはどこなのだ。

文章にならないようにしてきた。
おこった出来事を言葉にしない。

すると、恐ろしいぐらい、なにも覚えていないことに気づく。
だから、人は言葉を残すのか。
残すことで安心し、忘れていくのか。

なにも覚えていない。
しかし、わずかな手触りみたいなものは残る。
それが形になっている写真があると、言葉以上
のことを思い出す。
写真は不思議だ。

ある冒険家が、もう冒険する場所はなく、
個人個人心を揺さぶられることをすることが
冒険になっていると言っていた。

主客が不可分になっている感じが、日本的だと思った。
西田哲学。

もっともらしい批評は、批評でない。
テレビ番組が、スポーツ新聞の記事を紹介して、さもわが意見と
言ってるみたいで気持ち悪い。
言葉は「走らせる」。それがちょうどいい。

12月は忙しい。忘年会が最も少なかった年だったのに。
東京でプリントを仕上げる。来年横浜で見せるため。
しかし、ネガ傷。どこかでつけてきて、昨日まで悶絶していた。
もう、展示形態までフィニッシュしていたけど、悶絶。

予備ネガがかろうじて見つかったが、それはそれでない。
撮りなおしても、それはそれでない。
なんだかよくわからないけど、日本的だ。

個展も来年控えているが、だいぶ先で、なんとなく
方向が見えてしまったので、テンションあがらず。

そんなこんなよりも、
人と自然の歴史がレイヤーのように積み重なって、
かつ自然としてあり続けるということに、すごく意味を感じる。
いや、意味以上のものがある。
それは何か。
そこに行った時、自分になにが起こるのか。
そこで、自分が形にできることはなにか。
そのことに、すごく関心がある。
そことは、どこなのだ。

もう数日もすれば、また旅に出る。年が明けるまで戻らない。
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by stoneroses8010 | 2009-12-24 23:29 | photo
2009年 11月 29日

実感

一番困る質問がこれ。
「今、何を撮っているの?」
対象を決めて撮っているわけじゃないし、写っているモノに対しての情報を語るとするならば、それはすべてじゃない。
いうならば、それ全体の出来事を撮っているとしか言えない。

見ている人が、「いや、それは○○じゃん」と言えば、その人がそう見えているだけ。
マークロスコの絵画が、色彩とボケにしか見えていないことと同じ。

発火点は実感。
日本は多神教で、太古にそれぞれの物質に神を感じ取り、崇める。
神の声を聞いたという人間は、権力を持ち、世界を作ったんだが、
その口火の元になったのは、物質、生命からの実感。

夜におびえ、日が昇ることに感謝し、獣と争い、巨木に慄き、神が宿ると信じる。
それは、世界と向き合った実感から始まる。

それが壁画から始まる絵となり、文字が発明され、詩、歌とつながっていく。
人間が増え、さまざまな感情と生活が入り乱れると次第にジャンルは増えていく。
それから、写真、映像と表現媒体は進んでいく。

なんかそれたけど、
撮っているものは、その実感から始まる。
実感の形状のための写真じゃなくて、実感と現実の出来事との往還としての写真。
自分と自分の皮膚の外側との摩擦で生まれるもの。

生きるということは、その摩擦をつくることではなかったのか。
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by stoneroses8010 | 2009-11-29 22:15 | photo
2009年 11月 27日

眠すぎ

だめだ。眠すぎ。
おまけに、暗室で集中しすぎて、足腰がガタガタ。
来年は確実に2回展示をすることになります。

くわしくは、また。

友人が新世紀に入ったりと、自分だけでなく、周りもいい感じ。
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by stoneroses8010 | 2009-11-27 23:05 | photo
2009年 11月 26日

生々しさ

生々しさだけが頭に残る。
見ようとする自分、見えているもの、不要なものを削いでいけば、
たどりつくところは、普遍ではないか。

日常は、すでに臭いをなくした。
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by stoneroses8010 | 2009-11-26 00:25 | photo
2009年 11月 13日

すべて。そう、すべて。

人だけで生きているわけじゃない。
地面があって、動物がいて、風が匂い、水がゆらぐ。

すべて。そう、すべて。
ゆるやかに。もっと、ゆるやかに。

自分というものこそ、ちっぽけだ。
自分が作ろうとする世界は、もっとちっぽけだ。
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by stoneroses8010 | 2009-11-13 23:07 | photo
2009年 11月 11日

向かってくるもの

意志が向かってくる。
それが物質だろうと、生物だろうと。

慄いているうちは、それを受け入れていない。
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by stoneroses8010 | 2009-11-11 22:43 | photo
2009年 11月 11日

何を見ている。

その姿の先に何を見るのか。
見えている以上のことが見えている。
なにかが潜んでいる。

いや、そうじゃないかもしれない。
けど、脳は反応している。想起している。

そこには、生に近いものがある。
生は生を求め、生の中でしか生はない。

もっと、人間はシンプルでいいはず。
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by stoneroses8010 | 2009-11-11 00:09 | photo