確証はない。それを信じるしかない。

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2007年 02月 26日

平日の崩れを土日に立て直す

今週の平日は、どうも飲みが続き、うまく時間が取れない。

そんな状態を立て直して、土日へ。
土曜は作品がほぼ上がったとのことなので、それを引き取りにいき、最終確認をする。
今、プリント、仕上げを頼んでいる工房は、本当に良い。少数ながら、仕事が的確。こちらの意図を十分に言葉にしなくても伝わっているような感覚になる。
聞くところによると、某大手ラボの名プリンターを集めた工房らしい。よほどのことが無い限り教えないようにしようっと。
その後に、作品ファイルを仕上げる。一方で、日曜は、写真とは全く関係がないんだけど、別件で、大事な面談があるので、その準備をして夜が更ける。

日曜。
午前中は、昨日準備していた面談に望む。詳しくは書かないが、今日お会いした人は、ミュージアムとは全く無関係だと思っていたのに、昔は、ミュージアム関連の仕事をしていた。そこらのマネジメントの研究者より第一線に近いよと言われ、ちょっと意外だった。
午後からは、レンズを一本修理に出していたので、それを引き取る。次の土曜は知人の結婚式なのだ。

いったん帰宅した後、写真のクラスへ、最終の方向性の報告をしに行き、搬入の段取りを教えてもらう。ただ、今回は自分のスペースが予想よりも広く与えられないと聴き、そんなこと直前に言われてもなあ、と落胆する。
その後、クラスの友人と来年度の方向性やら話す。
その友人は、来年は本格的に芸大に進学するようだ。
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by stoneroses8010 | 2007-02-26 00:57 | photo
2007年 02月 21日

作業もろもろ

昨日、今日と引き続いて、展示作品の最終調整。プリントの仕上がりをチェックし、展示形態の指示を工房に出す。文章にすればなんてことないのですが、これが、移動時間が長く、デカイ荷物持ち運びなので、結構体にキツイ。が、ここまでくれば、あとは仕上がったものを搬入するだけとなった。なんとかなるもんやね。

さらに、展示に関するファイルとか、頼まれているCDのラベルを作ったりする作業がある。院で論文集をCD化するというので、その修正も今からしなくてはならない。
こうして2月が終わっていくんだろうなぁ。
あー、ちょっと遠くへ一人で行きたい。
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by stoneroses8010 | 2007-02-21 01:26 | photo
2007年 02月 11日

作品見てもらうまでに「幸せのちから」を観ながら待つ

昨日は、口頭試問後の打ち上げに参加し、とりあえず飲む。ひとまず修了できそうやね。
担当教授は、今年度で退官なので、私が最後に指導していただいた学生となる。来年度以降に向けてのアドバイスやら書類作成やらいろいろ骨を折っていただいた。感謝感激。
思った以上に私の周辺の方とお知り合いなので、「またいろいろと言っておく」と意味深な発言もあったり。

今日。
今日は写真のクラスに作品の最終形態のプレゼンをしに行く。無論見てもらうのは私だけじゃない。現地に着くとえらく待たされそう雰囲気だったので、クラスメイトと順番が周ってくるまで映画を観に行く。

クラスメイトが観たいといっていた「幸せのちから」。
最初から中盤にかけて、結構貧乏話や宿無し話がいろいろ続き、最後に見習いで研修を受けていた金融商品のブローカーに正式採用されるというお話。正直良いも悪いも無いのだが、シゴトしていくには、ハッタリ使ってでも人心つかむ機転を持つことと、そのハッタリを本当に変えるようなバイタリティと行動力が必要なのかもねと思った。
捨て身の努力も重要。

で、そんな映画の話も半分忘れながら、戻るとちょうどいいタイミングで作品を見てもらえそうな時間になっていた。
ギャラリストに、かなり周到に作品コンセプトから並べ方に至るまで、つきつめて考え撮ってきたものを提示したのだが、最初のプレゼンがよかったのかあまり突っ込まれなかった。ただ展示空間の関係で並べる構成を替えてもらうかもしれないという。あまり譲りたくないところなのだが、その話はまた今度だなぁ。

帰りにクラスメイトと食事しながら色々話す。
フリードランダーに心酔している様子。MOMAが出したデカイ写真集も持っているとのこと。
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by stoneroses8010 | 2007-02-11 23:59 | photo
2007年 02月 09日

プリント

論文の口頭試問が終わった。
副査の教授から、結構スルドイ質問をされる。いい点も悪い点もクリアに指摘され、持ち時間があっという間に過ぎた。それにしても、文章力は課題だな。

急いで、プリントをお願いしていた工房に向かって、プリントの調子を見る。店の人は、赤みを落として、「2枚焼いてみたのだがね」と見せてくれる。私としては、できる限りフラットに仕上げて欲しかったので、より赤みがないほうが(作品の意図として)合ってますねと言い、プリントされた紙を見ると、んっ?紙質(光沢と半光沢の違い)が違う。「これは、赤みをより多くとるために紙をかえたのですか」と聞くと、その人は、「あーっ!気づかなかったー、すいません、プリントしなおしますわ~」と言う。私は光沢なしの赤みなしを指定したのだが、赤みをより押えていたほうを光沢で焼いていたのだ。

これには思わず笑ってしまい、日曜に人に見せなきゃならず、時間もなかったところから、「いやいや、半光沢のほうをもらいます」と引き取る。その後は、今後の予定と段取りを伝え、またお願いしますと依頼する。雑談もいろいろしたのだが、本当に写真が好きということが滲み出てる職人のような人だった。
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by stoneroses8010 | 2007-02-09 23:39 | photo
2007年 01月 20日

パターン化

とにかく撮る。今日はそう決めていた。撮りなおしをセレクトして、頭のなかで、時間と場所を把握しつつ、早めに家を出る。やっぱり光の条件は午前中がいいと思いながら。
2月中旬には、撮るというよりも仕上げに時間をかけないといけないので、そう撮りに行く機会もない。帰りはいつも、createにフィルムを出す。そして、車走らせ、ご飯食べたり、映画観たり。撮る時の行動はパターン化している。
森山大道は、新宿を撮るときは、3時間ほど撮って、シャワー浴びて、また撮って酒を飲むという一日のパターンがあったと言っていた。パターンを作るとカメラが身体化する心地を覚える。なぜだろ。

帰ってからデータの整理、担当教授とのメールのやりとりなどなど。
あまり体動かしていないにもかかわらず、次の土曜はフットサルなので、ちょっとは慣らしておくかと意識的に走ったものだから、すごく疲れた。
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by stoneroses8010 | 2007-01-20 23:33 | photo
2007年 01月 19日

コミカル&シニカル

シゴト帰りに写真展へ
「コミカル&シニカル 韓国と日本の現代写真/二人の女性のディレクターから見た一側面」
ここのディレクターの方には、写真のクラスでもお世話になっている。
ドーンセンターにある地下プールを使って、日韓16名の作家が写真、映像を展示している。
プールのタイルの色や模様がうるさくなく、写真展示を少し工夫すれば、こうも展示向きの空間になるのかと驚いた。また、通常の写真展なら、自分の立っている位置より下に写真が展示されていることなんてないのだが、それをプールの底を使うことによって、写真を見下ろし、作品と観ている自分との距離が十分にとれることは新鮮だった。
ランダムに展示されているように見えるが、動線は配慮されている。

波惹の「母のファッション 母の夢を見つける」が力強かった。ファッションモデルになりたがっていた母にモデルのような様々な姿をさせ、娘がそれを撮るというもの。
時間が刻み付けた身体の現実があったとしても、母の想いはそのままで、その毅然というべきか、想いをぶつけるようなオーラを娘は、尊敬の念で受け止めるかのように撮る。そこには、親子というだけでなく、撮るものと撮られるもの互いを認め合った関係性がある。
細江英公が写真は被写体との関係性といったことを思い出した。

盧順澤の「the strange ball」は、ある地域の平原(田んぼ)に立つ在韓米軍の軍用施設である「ボール」(本当に見た目、真っ白いボール)とその周辺に住む住民の生活を撮ったもの。
「ボール」を軸として、人々がどう営みを続けているのかをフィールドワークのように撮っている。そこには、韓国に米軍が存在する政治性や軍用施設(殺人)と隣合せで生活(活人)せざる得ないことの疑義の訴えを感じる。モノクロで撮っているので、ビジュアル的な対比も目を引く。

日本人では、浅田政志の「浅田家」が面白かった。家族で、ロックバンド、ガソリンスタンド、選挙活動、やくざなど様々な役を演じて家族全員出演の「家族写真」を撮る。
職業を演じるよりも、家族で作品を紡ぎだすプロセスの偉大さの勝利。モデルそろえて、形決めて、撮るということからは見えてこない「家族」という現実の関係性があるからこそ、コスプレが引き立つ。

大雑把なくくりだけど、日本の作家は他の視覚芸術との融合や、コンセプチュアルな立場、パワー系のスナップの系譜を引くものなどが目立つが、韓国の作家は、よく自分の国の文化事情や風土の歴史的文脈を考え、それに対する提案を行なっているような気がした。
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by stoneroses8010 | 2007-01-19 22:46 | photo
2007年 01月 14日

シャルル・フレジュ公開講座

やっぱり、二日酔いになった。少し頭が痛い。そして体がとてつもなく重い。
それでも、午前中に家事を済ませ、午後から写真のクラスでシャルル・フレジュが来て、公開講座をやってくれるので、それに参加。

シャルルの作品の説明が主になってくるのだけど、要約するとこんな感じ。
シャルルは、世界で、ユニフォームに身を包む人のポートレートを撮っている。
ユニフォームは人が特定の組織、コミュニティに帰属している表れであり、それは外見のみならず、言葉づかい、身体、やがては思想まだ、その属しているもののルールに侵食されていく。そのユニフォームが引き起こす身体への拘束性の視覚化が狙いのようである。
(ソシュールがいうには、言語が身体を拘束しているといっているのだけどね)
シリーズは、外人部隊やフィギュアスケートチーム、軍人学校、衛兵、そして力士。
人が、帰属するコミュニティによって言語から思考まで拘束されるだけでなく、異なるコミュニティに属する人に対しても、自分が属するコミュニティでの見方(それを、彼はステレオタイプと称していたが・・・?)をしてしまう危険性も気づいたと語っていた。
だから、そのコミュニティに入り込んで、実際に目をしたものを蓄積するように、見たまま撮影すること、表面をなぞることで、そういった先入観から脱したものを視覚化したいと言っていた。

質疑応答で、だれかが、本当の衛兵がユニフォームを身につけて撮影することと、そこらの若者を捕まえて、ユニフォームを着させて撮影することの差異は生ずるのかという質問があった。
シャルルは、衛兵を例にして、ユニフォームをまとう前とその後の顔つき、背筋などが違うといっていたが、差異の説明にはなってなかったように思う。
おそらく、この差異はこのシリーズでは明らかにならないと思う。それには、ユニフォームとは別の拘束性、つまりは一人の人間が衛兵に至るまでの歴史的文化的文脈が作用しているように思うからだ。だから、別のアプローチが必要だし、またそれが、人がある特定(生まれ育った土地、帰属する組織)の環境の影響を受け続けていることの深さだと思う。
こういうのも構造主義の一環なのかも。

帰りに同じクラスの人と話。3月の展示についての写真のサイズをどうするかということ。
お金がかかるからとか、作品のコンセプトを見合さずに決めていたみたいだったけど、写真はお金がかかるものだし(というより、何かを表現しようとする時は、金がかかる)、もう写真として活動をそんなに精力的にやるつもりがないなら、ここぞで使ったほうがいいと思うのに、そうしない。総計10万ぐらいで、4mの壁を使えるのなんてそんな機会あるわけじゃない。私は、作品と見合わせても、ギャラリストと相談しても最低大全紙というレベルなので、そうするつもりだが。枚数は未定。
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by stoneroses8010 | 2007-01-14 23:22 | photo
2007年 01月 07日

セレクトの困難

論文はひとまず置いて、写真のクラスへ。
セレクトしなおした試案で持っていく。ギャラリストに説明するも、どうもピンと来ていない様子。私の中では、コンセプトと持ってきたセレクトが同一のものだと思っていたのだが、第3者から見ると、どうもバラバラになっているみたい。私はそこで、セレクトに合わせて、コンセプト曲げて話したらしく(そんなつもりはなかったのだが)、どうもそれが、本末転倒になって混乱を招いた様子。やはり、客観的な第3者に伝わるということが大事だから、セレクトを再考せねばと思う。今回は、基本コンセプトはそのままにして、撮っていくうちの癖と気づきをひとつの提案のような形で盛り込んでみたのだが、それが全体の表現を崩すことになったと分析する。いい勉強になった。気付きの挿入は本当に難しい。結局一言でいいのかも、ということが経験できた。
その後に、見てもらっていた人が、よく知らないイギリスのグラフィックデザイナーのコンセプトの習作を出していた。ギャラリストは、それは作品ではないですよとばっさり。
理由はその人とデザイナーの違いになるのだが、そのデザイナーは著作権についての疑義、セレブリティへの挑発という文脈に向かっての反抗めいたものに先鞭をつけたのであって、そうでないこととの違いは大きいとのこと。
けど、あの言い方では伝わらなかったのではないかなぁ。「過激なことしろ」としか聞こえなかった。

まあ、人はともかく、課題が出て来たのでその修正となる。論文にメドつけておいてよかったよ。今後取り掛かることはそれだけではないのだし。

ヒヤリング先の学芸員の人から、年賀メールをもらう。そこには昨年の活動報告めいたものも書かれてあった。改めてスゴイお人やってんなぁと感心した。
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by stoneroses8010 | 2007-01-07 18:44 | photo
2006年 12月 10日

今日という日は忘れられない

写真のクラスへ、3ヶ月前から構想を練り直した作品群を持っていく。
午前中は、ギャラリストの方中心に見てもらう。テーマ性は明確にしつつ、かつ表現意図、時代性も踏まえながら話し見てもらったので、おおむね、方向性を理解してもらった様子。
視覚的表現については、テクニカル面で注文がついたが、これは想定内。
ただ、ダイレクトプリントでは、アンダーっぽくなるのが心配。

午後から、幸運にもレクチャに来てくれた森山大道に写真群を観てもらう機会が持てた。
持ってきた写真群を見てもらいながら、午前中と同じ要領で、作成意図を話しする。
まわりに大勢のギャラリーがいたのだが、あまり大勢を目の前にして、話すことは苦ではない。それよりも、いかに目の前の「daido」に意図を伝えることが出来るかに集中したら、もう体中は汗だらけ。

今撮っているものが、彼の作風とかなりかけ離れているものでもあるので、正直、どうかなと思っていた。R.フランク系の写真を目指すなら、それなりにいいアドバイスになるのではと思っていたが、やはり、この方はモノが違う。

「こうこう、こうしたら面白いと僕は思うんだけど」と言いながら、持ってきた写真をササッとセレクトすると、私が予想もしない違った流れの写真群が出来る。作成意図としかも合致している。これには、感動した。私はセレクトされた瞬間、自分がやりたかったこと、今回伝えたかったことが、クリアになったような気がした。しかも、それが第三者のセレクトによってである。

あと、他に数名見てもらっていたが、そのときも、話を聴いて、ササッとセレクトすると、その作品が一気に変わる。この瞬間の凄さは、まさに衝撃的。

森山さんは、「こだわりというものを明確に持て」とアドバイスされた。
そして、「ここで、自分はどんな気分だったのか」、「見たあと、どういったこだわりがあると思えるのか」ということをやりとりした。「こだわり」というのは撮る「癖」によって現れると指摘していたように思える。自分の「癖」をどう客観視できるか。
それを人に見せるということはどういうことなのか。人に見せるということを意識化すること。

ここでは、「自分のなかの内なるもの」を探るような感覚的なやりとりが続いているように思えるが違う。実に理論的。
つまり、テーマ、コンセプトという流れのなかで、場所に立って感じ、純視覚的にまずどう捉えるか、そして、それを突き詰めたあと、もう一つの捉え方を確認しなさいということだ。それが、最後にアドバイスしてくれた「写真を多面的に見ていく癖をつけなさい」ということにつながる。
また、それを必要最小限のコトバで話す。そして明確に伝わる。(ちなみに、森山さんは文章も恐ろしく上手い)

あと、「オレが撮るような路地裏とかどう?」とか笑って気さくにお話される方ので、かなりクダけて話ができた。そこで思わず、私は「森山さんのように大胆になれない」と失礼千万の返しをするも、笑って「オレも(君が撮るような)こういったところには撮りに行かないなぁ」とやり返してくれた。

今日という日は忘れられない。
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by stoneroses8010 | 2006-12-10 22:49 | photo
2006年 12月 09日

ニュー・トポグラフィックスからサイトグラフィックスへ

個人的好みの「ニュー・トポグラフィックス」

その関連の備忘録
http://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/curator/sf_0506.html

http://www.valis-declinaison.com/day_by_day/txt050605.html

http://offtrap.client.jp/j/textarchive/serial/nc_er9603-j.html


一歩離れて表層をなぞるやり方とも言えるかも。以前から思ってたけど、こういうやり方ってウォーホルと似てる。ウォーホルは商品やメディアを意味とビジュアルから切り離した。ニュー・トポは、風景と歴史性、風土性を切り離した。
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by stoneroses8010 | 2006-12-09 22:19 | photo