カテゴリ:我思ふ( 58 )


2010年 05月 17日

サバイブと編みこみ

人の死を身近で体験させられると、悲しい出来事であることは当たり前なのだが、その死が、私にどう生きていくのかを問いかけているような気がする。
もっと、単純に、生があることは当たり前でなく、奇跡に近いのだから、泥まみれになってもいいからサバイブしろと、体育会系の鉄則よろしく、背中を思い切り打たれるように叫びが浴びせかけられているような感じかも。

また、それは、その死と自分の生との対話だけでなく、その間に存在する他者との関係性を見ることができたときにも、生きるということの普遍性というか、純度の高いなにかを見せられているような気もする。

自分に関係するものの死を目の当たりにすることは、自分の死を意識化させることでもある。
死を意識化するということは、死は無なのだから、それまでのプロセスをよくよく考えてみろということである。
そこで、単純にやりたいことやりゃいいじゃんでは、だめなのだ。生きるということは、他者との関係性にあるということ。親、子供、恋人、友人、飲み仲間、ツィッターつながり、その他諸々。
自分の欲とその関係性をどう編みこんでいくのか。比重の差ということだけでなく、タペストリーのような編みこみ。
それを真剣に見つめ続けたとき、最期の時に、なにか次の人たちの中に残るようなことが成し得るのかもしれない。
ありがとう。

古屋誠一見にいこ。
[PR]

by stoneroses8010 | 2010-05-17 23:52 | 我思ふ
2009年 10月 13日

ちょっと

ちょっと、疲れ気味。移動しすぎかな。
昨日、九州出張→九州一人旅から帰ってきた。
この数カ月で移動しまくり。その反動かも。
[PR]

by stoneroses8010 | 2009-10-13 23:58 | 我思ふ
2009年 07月 31日

大雪山での出来事

北海道から戻ってきました。
トムラウシのあの事故の翌日に北海道に行って、その3日後から大雪山を単独で登ってやろうというのだ。
少ないのかなと思っていたら、結構いるものですね。

私は、縦走はしなかったけど、計4回(黒岳、赤岳、旭岳2回)ピストンで登った。
その中で、少し思い出深い出来事を一つ。

旭岳1回目のとき。
その日は、かろうじて雨は降らなかったものの、視界は不良。登れば登るほど霧で視界はせまくなる一方だった。6合目からは、木は生えずなんの遮蔽物もない火山のような岩、土がかなりの斜度で残る登りがずっと続く。

私は、ふと腰を下ろし、角度45度近くのそうした岩、砂がずっと折り重なっていく風景を見降ろしていた。
天気がよければ、視線のその先は、数十メートル先の次なる山の斜面で遮られ、普通の風景になってしまうところだが、そこは、うまく霧が遮り、その大地がどこまでも続くかのような錯覚を起こすぐらい広がっていた。


私は、頂上の風景や植物や絶景にはあまり関心がない。
達成感などもっとない。次ここ登ろうとか、百名山目指してやるとかいう野心もない。
それよりも、登って行くうちに見せる場の空気のゆらぎ、光がみせる変化、それを体感している自分、目のまえで起こる、人と風景が見せる
ちょっとした違和感、ときには笑い、ときにはイラっとする感覚に興味があって登る。
映画を見ているような気分。それに出会いたくて登る。



下り9合目あたりで、家の近くのコンビニに行くみたいな恰好で、ひょいひょいと写真を撮りながら駆けて登ってくる若い男とすれ違った。よく見ると、異国の方。(山であう異国の方は、驚くほど軽装な方が多い。)

そのときは、全然気にも留めなかったが、下り6合目あたりで、追い抜かれてしまった。

!!!!!!!!

いくら私が写真を撮りながらとはいえ、その男のとてつもないスピードに驚いた。
まぁ、写真撮りながらだからしょうがないと思っていたら、その男も、とんでもないスピードで、いたるところ写真を撮りまくっていた。
撮りながら、下りていく。それは「ただの観光写真」では済まされないものだった。狂ったように撮りながら下りていく。

私も下りながら、彼を観察していた。

彼は、半笑いで昇天寸前のようだった。要は、トランスしているのだ。

彼は、全身がアンテナのようになっている。あらゆるものに反射しているのだ。

「反射」することは、難しい。「考え」が入ると反射しない。

御託やシンパシー、思想なんかくそくらえ。
世界をもっとよく見る。そして反射しろ。

なんか、そう教えられているような気がした。

下りきった後、彼は私に振り返り、こういった
「スマーイル!」
そういって私を撮っていた。

なんだか、不思議がって、ついてくる日本人に、彼も不思議でしょうがなかったんだろう。


気が向けば、また北海道での出来事、書きます。
明後日からは、フジヤマに行ってきます。
[PR]

by stoneroses8010 | 2009-07-31 22:46 | 我思ふ
2009年 06月 29日

7月8月の山プラン

7月、8月の山プラン。
7月 大雪山 (黒岳 旭岳) 単独
8月 富士山          同伴1名

目標は死なないこと。
富士が終われば、雪山まで待つ。
[PR]

by stoneroses8010 | 2009-06-29 22:46 | 我思ふ
2009年 06月 02日

安心と拒絶と

安心というものも時にはやっかいなもので。
ある程度ものの見方や価値観が固まりつつあると、見たことあるもの、知っているものを見るほうが安心したりする。そうでないものに接したときにどんな反応が出るかというと、それは「拒絶」である。

確かに、人の写真とか見ているときに、これって○○っぽいなぁと思ったりするときがあって、たぶん撮った人は、それが一応認知されているものであるから、安心して(?)、(○○っぽくを意識的かどうかわからないけど)セレクトしたんだろう。見ているほうも無意識ながらに(?)、○○っぽいなぁと感じつつも、いいとか思ったり、思わなかったり。

見たことないものを撮ってセレクトすることって、簡単なようでそれはムズカしく、まず、無意識的な「拒絶」の壁を取っ払わないとならないと今更ながら。

撮るときよりも、むしろセレクトにそういう意識が必要で、それじゃ○○っぽいから、それならこっちだろうと、天邪鬼ながらも自分を少しでも絞り出すことも時には必要。

写真を撮るために世界を見るんじゃなく、世界をまず見る。写真を撮るのは、「ああ、そうだった」とちょいと思い出しつつ最後で。といいつつも、そうすると起きた「変化」(自分の中含む)を逃しちゃうので、それもまた要注意。

最近見た映画
「メイプルソープとコレクター」…メイプルソープ、あんまり出ない。残念。
「重力ピエロ」…思った以上に面白い。
「インスタント沼」…麻生久美子、最近よく見る。
「鈍獣」…邦画ばっかだな。

今週の東京行きで、川村記念美術館のロスコ展、観ることに決めた!楽しみ。
[PR]

by stoneroses8010 | 2009-06-02 21:27 | 我思ふ
2009年 04月 19日

いろいろ再確認

なんだか、うって代わって全く休めない日が続き、4月にこの土日、ようやく休めた。
(これって、なんとか法違反ちがう?)
このわずか、数週間の間で、ここでなにが自分に出来て、出来ないか(能力的にでなく、立場的に)がよくわかった。この分野はきれいごとでは済まない。
こういった場合、生き残ることを最優先にすべきであり、そのため、自分の信条があるとすればば、それを
貫き通すのもばかばかしいし、正直疲れる。
自分の主義や主張を通そうとする場合、それを解する者がいること、もしくは解する者を手元におくことがまず
必要であり、そうならない場合は、ある程度身をかわしながら、柔軟に対応するしかない。
でないと、自分がつぶれてしまう、マジで。

そんなことを思いながらも、自分にとっての最優先事項がなんなのかを改めて、再確認した。
そんな数週間でした。

体を休めないそんな時期でも、
18日に杉本博司展を国立国際で見る。
「sea scape」の展示会場は抜群によい。作品のサイズも思わず聴いてしまった。
化石とA級戦犯の顔写真、そして隕石をずっと見てたな。石ばっかだな。
でも、それらは、眺めてると太古の海や宇宙のことを想像してしまって、そういった時間の流れが視覚化されている
これらは、やはり一つの視覚芸術なんだと思ってしまう。

さらに、友人が個展をやっていたので、見に行く。
作品をコトバで伝えようとすることも、プレゼンのひとつとして重要なのですね。

19日は、伊吹山に登ってやった。やめられんなぁ。
白人男性が、上半身裸でテンガロンハットを被って登っていた。
頂上で13種類のソフトクリームが売られていた。
まったくもって面白い。

面白い世の中、やられてたまるか。
[PR]

by stoneroses8010 | 2009-04-19 22:36 | 我思ふ
2009年 03月 25日

山 フィルム 身体性

いろいろ多忙だったわけで、長く期間があいてしまった。
山が本格化しはじめて、2月末には初雪山に挑戦。
先日の連休では九州の山々(高千穂峰、久住山)のダブルヘッダーに完勝。
と、自分でも不思議なくらいやめられんようになってきてます。我ながら狂ってると思う。

○京都にあるタカ・イシイギャラリーと小山登美夫ギャラリーに初めて行ってみた。畠山さんが個展やっていたため。東京にあるギャラリーと同様の雰囲気。どちらかというとニューヨークにあるチェルシー地区のギャラリーの雰囲気に似ている。

○友人が東京芸大の大学院に行くとのこと。しかも通学。深夜バスで通うらしい。健闘を祈る。

○とあるギャラリーの方から個展の依頼があった。ものすごく嬉しかったが、どう考えても間に合わないタイミングだったので、パスした。残念。こういうときの機動力が本当に今欲しい。それでも、今後付き合っていけそうなギャラリーではある。すいません。

○単独で山に登るといろいろ考えるわけ。自分がなぜ、コストもバカにならないフィルムを使っているのか。ずっと考えていた。
写真はデジタルになっていく。杉本博司さんは銀塩は終わったと言った。それでもフィルム。
フィルムは、ビジュアルとして階調や硬さなどがデジタルとは違うといわれるし、実際に私はカラープリントを暗室でもやるし、デジタルでも出力したりするので、それはわかる。でもそういった目で見える点を指摘しても、自分のなかでは違うなと思う。
フィルムは痕跡という人がいる。つまり、ひとコマひとコマが自分の足跡であり、物として残ると。じゃ、なぜ足跡を残すことがフィルムにすがる理由になるのかと考える。
足跡の読みやすさ、身体のフィット感がフィルムが優っている思えるからかな。
写真に無駄なものはなく、最後はセレクトによって作品として成立することがある。セレクトするということは、自分が撮ったものの履歴を読むということである。読むことで自分の記憶、体験と向き合って、ビジュアルとして再構築して他者とコミュニケーションを取ろうとする。デジタルでもやろうとすれば可能なんだろうけど、撮る、観る、読む、セレクトという過程がフィルムのほうがやりやすく、頭でっかちにならずにすむ。デジタルは読む前に、自分の考えが入り、読むことなく自分のなかで違う自分を発見することなく、勝手に取捨選択してしまう。
そう考えると、自分という身体性と密接であって、よりフィットするものを求めてのフィルムなんだと思う。身体から湧き出るものが残り、それをなんとか伝えようとしている。機器の選択もそうだし。
私小説的な写真を撮らずに、ベッヒャーやらグルスキーのような写真であったとしても、それを撮るきっかけは、世界と向き合って、受け止めたものがあって、それを形にしようとした結果だと思う。身体から出てくるという根本は一緒。
デジタルのほうが合うという人もいるんだろうけど。でも、私はフィルムの時代に生まれて、そして遊べてよかったと思ってる。

○身体性つながり。
この間NHKでやってた「日本のこれから」というテレビ番組を見た。
お題は「テレビのこれから」というタイトルで、テレビ業界のプロデューサやディレクターらと、一般の方、糸井重里などが生で3,4時間近く「テレビのこれから」について、語る番組。
ここの番組でも指摘されていた若者の「テレビ離れ」に入る私も、テレビのことなんかどうでもいいと思っていたけど、つい見入った。
そこで面白いことに気づいた。一般の人は忙しいから見れない。オンデマンドでやっているからいつでもどこでも見れるコンテンツを求めている一方で、業界の人は、そのとき、その場でやっている番組を見てくれと純粋に思っている。つまり、この時間帯、このタイミングや予算という制約のなかで作り手が試行錯誤して制作しているものを受け取ってほしいと。いい例えかどうかわからないけど、DVDでいつでも見れることよりも、映画館で2時間暗闇のなかで拘束されて、見る側にじっと入り込むことを求めるようなものがあって、それに対して、一般視聴者はメディアやネットでもっとコンテンツやらチャンネルやら増やしてやってよ。ドキュメンタリやら感動できるやつもやってよとのこと。
業界の人は、今までテレビが不特定多数の視聴者により添いすぎたため、無難に可も不可もないような二番煎じの番組を大量生産して、テレビが面白くなくなってしまったという。

情報を伝える手段がもう多様になったから、伝えるだけではテレビの独自性はもうないわけで、そうなるとテレビとしての表現が欲しいなと思う。ネットの即時性やらニッチに入ったものに勝てるわけないので、そこで争ってもしかたないので、寄り添いすぎたというなら、離れて自らの表現を見せてほしいと思う。スポンサーのこともあるだろうから冒険なんだろうけど。
[PR]

by stoneroses8010 | 2009-03-25 01:38 | 我思ふ
2009年 02月 01日

ありがとう、ドアノー

先日、暗室で焼いていたら、とあることに気づいた。
一枚一枚はじっと見入るほど面白いのに、まとめようとすると、とたんに面白くなくなる。
これってどういうこと?
編集の大切さはもちろんのことながら、なにかズレてるような。

試行錯誤して、3点ほど課題をもって改良していこうと思いながら、
えき美術館KYOTOでやっている「パリ・ドアノー」を見る。
ドアノーに関しては、ただ息抜きで見ようと思っていたのだけど、
内気なせいもあって人に踏み込めない分、背景に情報を込める方法とか、
見せるときのスケール感の統一方法など、染み入るものがあって、
タメになった。

最近、自分の最終地点をよく考える。
そりゃ、限界定めずいけるとこまでいくぜ!という「かっくいー」こと言えれば
いいけど、やはりある程度のポイントはそろそろ見とかないと。
時間は限られているわけで、とりあえず、それに対して自分がどういった
手札を持っていて、なにを持っていて何が足りないのか。
足りないものをどうやって集めるのか、交換するのかなど考えとく必要はある。
そう考えるとき、先がぼやける。
ぼやけるというよりもある程度絞られるのだが、
それらが相入れないものであって、どちらかを切り捨てることを強いられてきそう
な不安があって迷う。
とりあえず、頭だけでなく、行動。なんとか現場を知る方法がないものか。
[PR]

by stoneroses8010 | 2009-02-01 22:16 | 我思ふ
2008年 12月 31日

なんだかんだで2008年が終わる

*ピーター・ビエロブルツェスキの写真集を年始いきなり2冊買った。*それに影響され、夜をひたすら撮りまくった。*そのため、けーさつに怪しまれた。*5年ぶりにインフルエンザにかからず冬を過ごした。*朝焼けをよく見に行った。*勝又邦彦さんに作品をみてもらい、名刺交換した。*脳にしびれを感じたのでMRI検査を受けた。*展示でたいそうな金額を使った。*その展示で個展をやるならウチでとギャラリーから名刺をもらった。*プリンタを新調した。*やっぱりPX-5800すればよかったと思った。*5年使っていたPCがぶっこわれた。データも少し失ったので意気消沈*アメリカをロングドライブした。*グランドキャニオンの朝日は美しすぎた。*サンタフェにはもう一度行きたい。*「水曜どうでしょう」にひたすらハマった。*大泉洋は天才だと思った。*歯科に10年ぶりぐらいに通い、奥歯を抜かれるわ、変なところ削られるわ、えらい目にあった。*友人がギャラリストになった。*大学を卒業して以来の後輩と再会した。*その後輩と銀座で飲んで、不況の嵐がフリーランスフォトグラファーにも襲いかかっていることを知る。*ジョエル・マイヤウィッツの写真は美しかった。*阿蘇山にハマった。2か月で2回行った。*阿蘇のお陰で山に目覚めた*砂丘が気になり、鳥取に2回行った。*べガスのカジノで金をすり、べガスが嫌いになった。たぶん2度と行かない。*やっぱりプロセッサを買うと決意した。*6歳年下のホテルマンの友人がえらく老けていた。*エドガー・マーティンスの写真集に衝撃をうけた。*杉本博司さんと誕生日が同じだと知って、ちょっぴり嬉しい。*次作が形になり始めた。*自分の「カラープリント」がわかってきた。*ついでで撮っていたものがえらく友人たちに評判がいい。外から生まれるものもあると知る。*鈴木理策さんの風景の向き合い方に共感した。*肉を食べなくなった。*篤姫をよく見た。*ブラジルポップが身体になじむと気づいた。

なんとなく動きが鈍かった2008年でしたが、これまた、いろんな人と出会い、刺激をもらいました。ありがとうございます。
来年もよろしくお願いいたします。
[PR]

by stoneroses8010 | 2008-12-31 20:03 | 我思ふ
2008年 01月 01日

2007から2008へ

明けまして、おめでとうございます。

2007年の総括を年が明ける前にしようかと思っていたのですが、案の定出来ませんでした。で、年賀状も手をつけることが出来ない状態ってどんな年末。
いやいや、大したことしてないのですよ。
昨日は、初詣ならぬ、ラスト詣をしてきました。
いや、詣でているという行為に該当するのか、ただ、寺に行ったというだけ。撮りに。
というのも、一昨日に部屋の整理をしていたら、2003年の大阪カレイドスコープの冊子(たぶん買ったのだろう)が出てきて、そこで、作品が掲載されている写真家が東福寺の写真を撮っていたのである。しかも、その時の私は、たいそうその作品が気に入ったらしく、なにやらそのヨコに走り書きをしていた。(なんだか読めなかったが)
その写真は、今見てもいいなぁと思った。
というわけで安直であるが、まぁ、少し試しておきたいこともあったので、早起きして大判、中判携え出て行ったのである。
寒さは、言うほど大したことない。(というか、都市圏、そんなに寒いか?)

そうそう。総括だ。

とにかく、やれることをやってやって、走って走ったら、躓いて、前のめりになり、転がりながらなだれ込むようにチェックポイントをギリギリ通過って感じ

一昨日に髪を切りに行って、その時の知り合いの美容師さんにそれをその場で思いついて言ったのだが、今思うと、的確だなと思ったりする。
とにかく、長く感じた。
1月は論文を書いて3月までは院生だったのだけど、それすら遠い過去のように思える。
東京には、5,6回行って、夏にはドクメンタを観た。その他国内は数知れず。
4月に旧友に劇的再会をし、いろんな人に写真見せて回った挙句、12月には畠山直哉さんまでたどり着いた。
今年も色んな人にお会いできて、刺激を受けました。ありがとうございます。

やはり自分ってのはたかが知れてる。
自分で自分を囲って、何も吸収できないようなカタイ有象無象の連中と同化するのだけは、勘弁。

無理をしないとか背伸びせずとか、よく言うが、そのうち嫌でもできなくなる。だったら、気力なくなり、息切れるまで、無理して背伸びした方がよい。
あたためるものなど何もない。失敗したら捨てりゃいい。ただ、前へ。
[PR]

by stoneroses8010 | 2008-01-01 02:00 | 我思ふ