確証はない。それを信じるしかない。

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カテゴリ:我思ふ( 58 )


2007年 09月 24日

9月の諸々

ようやく落ち着きを取り戻しつつある。
9月の写真のメンバーとの合評で、自分に何が足りてないのか(うっすらわかってたものの、)が明確になってきた。セレクト、人への形としてのプレゼンの方法(コトバでなく)、そうしたものをどうストックしていくかということなど。
確かに私は、ネガや製本したものの整理が杜撰なところもあって、それがセレクトにつながってないような気がする。
写真ってのはセレクトの芸術でもありますからね。
では、どうするのかと、順序だてて考えれば、なんだか気が遠くなってくる。
が、今年度の目標は、それなりのBookをつくることにあるので、年末にかけてやるべきことをクリアしていかねばならん。

9月中旬は、用事で(1ヶ月間で詰め込んだ知識頼りに)熊本へ行った。用事を済ませた後、なにも写真を撮らないのもなんだかと思い、レンタカー借りて、阿蘇山へ向かったが、草千里で豪雨に見舞われ、電車の時間も迫ってきたので、12枚しか撮らずに帰る。しかし、これを帰って現像してみると、なかなかで…。

とある先生に、紹介して欲しいと無粋にも依頼していた私の中では「時の人」に、君のことを話していたから、アポとって会いたまえとメールが来る。さっそく、まずは手紙でアプローチ。忙しい方だからタイミングを見ながら、都合をつけねば。

時間が空いている時は、どうしようもない暑さの日でも撮る。
汗で視界が滲んで、世界がぼやけて見えるときがいい。
シゴトが一段落してきたので、さらに撮れる。
先日、友人がグループ展をやっているのを見に行って、また少し気合いが入る。が、そのグループ展の率直な感想を言えば、技術に走りすぎて、何が伝えたいのかわからない。それで、視覚的にピンと来ない。ストレートでモノクロで、正面きってスナップしている友人が(贔屓目に観ずとも)、一番いいと思えた。

神戸アートビレッジセンターでやっていた「都市との対話」展を観る。
作品云々よりも、展示の方法とか、ブックのつくり方とかに目が行く。
アクリルを今度の展示で使おうと思っていたけど、そうでしなくとも、自分がイメージしたとおりに見せる方法もあるんだと思い、その点で参考になった。

本が多くなって、本棚から溢れかえっている。本棚をさらに1台買い足したいのだが、希望のサイズのものがない。パソコンラックにも本を積んでいるがそれもとっくに飽和した。
かなり悩む。
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by stoneroses8010 | 2007-09-24 01:47 | 我思ふ
2007年 04月 17日

仕事観

職場の歓送迎会が続く。他の職場に異動して、早速その仕事を嫌がっている人もいる。
なんなのだろ。こういうとき、この間も話した仕事観についていろいろ考える。
独立することや自分で事業をやることをスゴイスゴイと連呼している人がいた。そりゃ、並大抵でないと思うけど、結局そのシゴトが自分にとってどうなのか、人生の時間と資力と労力を捧げてもいいと言い切れるものなのかどうかのほうが、サラリーマンだか、独立だかの形態よりも重要だ。だが、そういいきれる人なんてそういないだろうから、形態にこだわらず、自分にとってシゴトとどう向き合うかというスタンスとその実践の確立こそが重要なんだろう。

この間の飲み会で、とある人が、シゴトが面白くなってきたといっていた人がいた。その人は趣味の充実の時間が得られるため、その仕事を選んだものと思っていた。そんな人がなぜ仕事が面白いといっているかと質問したら、論理性と答えた。つまり、様々なパーツがあって、それを組み合わせて整合性を持たせるといった意味である。
それが性格にあうと言われればそれまでなんだけど、どうなんだろうと疑問に思った。つまり、決まったことのパーツを組み、整理整頓し、説明能力を担保するということになってくるんだけど、じゃあ、それはなんのためなのか?どういった将来性のもとの論理性なのか?仕事に面白いと向き合うなら、自分のやっていることの全体的な立ち位置みたいなのを把握し、それがどの方向に向いているものなのかが明確ならずとも自分で理想をもっていないとなんだかさみしい。その上で、オペレーションレベルの論理性じゃないのか。
ましてや、ヒエラルキやロジックのソリューションじゃ、幅広い対応なんかできないのはもはや明らかなのに。

私も自分の仕事はきちっともちろんやるし、論理性ももちろんとる。そう、それは当たり前であって、それよりも、そうあった上で、どう将来に向き合えるか。自分が理想、ビジョンをもって試行錯誤できるか、夢中になれるかということが、面白いといえる向き合い方なんじゃないかな。
そりゃ、そううまくいかないから、ネガティブなものでも、ポジティブな面を見つけて、面白くしていこうという考えもありだし、精神的には健全だけど、ネガティブだからこそ、それ以外のものにバイタリティのすべてを費やせる過ごし方を今は選ぶ。そっちのほうが、つまらん妥協をせずにすむ。

部署が変われれば、自分の細やかな論理性などすぐに消し飛ぶ。後のだれかがラクになるのはプラスだけど、自分にとっての仕事ってその場合なんだったのか。どうせ時間をかけるなら、オペレーションのスペシャリストじゃなくて、マネジメントやガバメントレベルのスペシャリストの視野や実践力を養成できる仕事に向き合うべきだ。そのほうが汎用性が効く。以前、他部署からのスペシャリストが来たのだけど、その部署のみの論理性とオペレーション能力のみで、言ったら悪いけど役にたたん人材がいた。そういった人は、自分の立ち位置すら簡単に見失う。
そうはなりたくないのだ。
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by stoneroses8010 | 2007-04-17 00:14 | 我思ふ
2007年 04月 16日

視点

今日はテスト撮影しに行く。試行錯誤もいいところ。
ずっと昨日言われた「視点」の意味を考えていた。
文脈から身体的な視点を指していると思えるけど、日本人の身体って1億人以上もいるのだから、似たりよったりで、やはりそれだけでオリジナリティがあるとは思えない。撮る主体が被写体にどう向き合うか、主体がどういった社会的な文脈に乗った上で、そうなったのか、それが、美術史的に写真史的な流れにどうぶつかり合えるのか。それがオリジナルの「視点」じゃないかなぁ。と思ったりする。

シンディ・シャーマンは、自らがB級俳優になりきって、映画の一場面のようなセルフポートレートを撮る。見たままなら、それは俳優気取りの単なるセルフになるだろうけど、そこには、男目線による女性への視線。ファッションによって自分自身を幻想に惑わせるような消費社会。といった時代的背景とそれに呼応した作者の視点(コンセプトにも近いものなのかな)というのがあって、ビジュアルのみにプライオリティをおく視点とは異なる。

写真の話は、やはり写真を観ながらじゃないと抽象的で、あまり写真を見ていない、もしくは考えていない人、もしくは写真に懐疑的でない人は、実績ある人の意見に無条件にのまれてしまうように思える。
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by stoneroses8010 | 2007-04-16 00:44 | 我思ふ
2007年 04月 15日

違いを知り、動くことあるのみ

人の立ち位置の目線によって、面白さというものが、伝わる。
たとえば、身長の低い人の目線のオリジナリティ、高い人のオリジナリティ。
つまり、辺にあおったりするのではなく、その人のオリジナルの目線(?)が重要。

どのようなモチーフにおいても、線をきっちりしていることが大事。それは、顔ならば、目のライン、鼻のラインがきっちり通っているということ。

提示する写真に対して、共感するか、違和感を感じるかどちらか、または面白いと共感させること。写真作家は、自分だけが面白いとする視点の提示でなく、それを説明することが必要。

上記は、今日の飲みいったカメラマンの友人が言っていたコトバ。それなりにデカイシゴトをしているらしく、色々写真について語っていた。自分のなかで半分共感できたり、半分違和感を感じたり。

「面白い」ってコトバの意味がよくわからなかったけど、ようはシゴトとしてやっていくには、クライアントにどう共感してもらえるかが重要なわけでその意味でのクライアントが「面白い」と共感してもらえるもののことを言うのかなと勝手に思っていた。

共感させるか違和感を提示するかは、そのどちらかを提示することしか表現をやっている意味がないわけで、その二者択一の提示はどうかと思った。自分はどう思っているのかと考えた時、皆の既存の知覚で共感してもらうというのは、もうみんなわかっていることなんで、それよりも表現として成立させるには、彼のいう「違和感」が適当だと思う。それは「違和感」というよりも、見えなかったものの可視性であって、それを提示したときに生まれる今までの知覚をブレさせることであろうと思う。
それは見たら伝わるもので、説明すべきといっていたけど、説明したら、写真としての表現の意味がないと思った。まあ、それは作家がなんかを撮れば、すべてまかり通ってしまうネームバリューの抵抗感が見え隠れしたりしたんだけど。

線のきっちりというのは、なんか響いた。一見凝っているアングルやつくりに見えても、何が表現されているか根本が見えないとそれが写真や絵画であれ、ただ凝っているだけで、なにも伝わってこないと思う。モンドリアンなんかは、突き詰めて線の表現になったけど、それは、物事の必要最低限の構造を露呈したスタンスであり、そこから様々な空間を想起させる。

あと、かなりビジュアライズ優先的な発言が多かった。(つまりはコンセプト不要論)それで面白いと言わせたら勝ちという考えである。商売としてはそうなんだろうと思った。けど、幸い私は商売としていないので、ビジュアライズで写真をやっていたら、すでに辞めていたと思う。自分が何を考え、どう捉え、何を伝えたいのか、それを写真で表現し、第三者に見せる。それが写真による身体性と思っているからだ。その後のビジュアライズという手段であって、私の場合それが先んじると本末転倒もいいところになってしまう。

なんにせよ、彼は自己の思想をもって、それで地位をもち、身を立てているのであるから、賞賛に値する。彼と私の違い、それはどれが間違っているとかではなく、あくまで「違い」である。評価なんて時代が決める。
私はその場で反論はしなかった。すれば、互いに不快になりそうだったから。というよりも、一人が考える程度はしれているので、彼からなんか色々吸収したほうが得策だと思ったからだ。
議論を交わすことも時には必要だけど、それよりも今はどんな小さなことでもヒントはもらう。
そして、自分がそれに対しどう思っているかをそのあと考える。時間が無いので、余計なことを省いてショートカットで思考しよう。

なんでこういった展開になったかというと、九州に住んでいる友人が関西にやってきたからだ。そのため、大学時代の友人集めて飲み会をする。
まあ、皆それなり、結婚したり、仕事に勤しんだりしているので、悲喜こもごもの話をする。自分の仕事観と友人の仕事観の相違がわかって、まだ自分の仕事観はコドモかもと思ったり。まあ、それが何か?って感じですが。

さらに、その会よりも前、一緒に参加する友人と事前に待ち合わせして、色々話す。
彼女も自分のフィールドでいろいろ動いており、自分のアイディアでデカイところ相手にプレゼン仕掛ける様子。うーん、残業だのなんだので止まってられない。人を賛美したり、コケ下ろしたり、自分のなんともならん状況を卑下する前に、自分でまず、動いてみよう。
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by stoneroses8010 | 2007-04-15 01:01 | 我思ふ
2007年 01月 25日

しんどいながらも

早くも今週も木曜日まできてしまった。早く感じるのは、密度が濃いせいか。
日曜は、写真のクラスで作品の保護のレクチャーがあって、大変ためになった。
講師の方は、写真作品の保護とプリントやアーカイブに関して、美術館学芸員にレクチャーした内容と同程度のものをやってくれたので、ミュージアムマネジメントの観点からも絵画、写真、映像を扱う上で、美術館に今後必要な視点は何なのかを感じ取れた。
(ただ、そういったことがレクチャーの大半だったので、作品を展示することのテクニカル面を聴けると期待した大多数の人は退屈してたかも?)

月曜と水曜は仕事をこなしあと、ラボや写真工房を駆けずり回る。そうしながらも、火曜に、大学図書館などで、来年度の方向性のために必要な書類をかき集める。正直しんどいところ。

夜は、ヒヤリング先の学芸員の方とメールのやりとりが続く。修正した論文を送って、お礼を述べたら、自分の進路相談まで発展する。本当にありがたい話。完成させてよかったと思う。さらに多くの人に配られるらしいので、PDF化しなければならないのであるが、ソフトの手配がつかない。週末までには必ず送らせてもらわねば。
(大学院にないのですかいな・・・)
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by stoneroses8010 | 2007-01-25 23:04 | 我思ふ
2006年 12月 08日

図録の解説文

論文必死。気晴らしにblog
一つ一つの言葉の意味、使い方を吟味する。中間発表までのラフではかなりいい加減につかってたんだなぁと気づく。おかげでそのしっぺ返しを今食らっている。
事例をカタログ化する論文には今のところ、興味は無いので、とりあえず、極めて狭いフィールドをなるべく、深く探ろうと思っている。
ヒヤリングに出掛けているときに、とあるミュージアムの学芸員から言われたは、「論文とは論を成さないと意味が無い」ということである。
(私は勝手に、結論を立てるために、一つ一つの文節が証拠提示するものだと思っている。)
その学芸員の人は、「(そういう意味では)ミュージアムの図録の論文は、論文でない。ただのレポートである。あんなの誰が読んでるのかね」とおっしゃていた。
私も、それには半分同意。なぜ半分かというとそうでないものもあるからだ。
東京都写真美術館の『発言する風景 クリティカル・ランドスケープ』展図録(1993)で学芸員の笠原美智子氏が、こんな文章を添えていた。

「作品が特定の地域や時に限定され、その場所の問題や作家の視点が具体的に提示され、深まれば深まるほど、一般的イマジネーションやメッセージを獲得できる」

つまり、写真により風景を再現するだけでなく、その見えているものの奥にある未知の物語を見えるようにすることでないかということである。
西村清和は写真は「再現と暴露の両義に位置している」と言っていたが、このことと関連するだろう。
笠原氏のこの論は、私の写真の見方を変えたものの一つとして印象深い。


あ、論文に戻らないと。
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by stoneroses8010 | 2006-12-08 02:34 | 我思ふ
2006年 11月 27日

ちょっとしたモノローグ

自分のやりたいことがなんだったのかわからくなるときがある。
はっきりとビジョンが見えていた筈なのに、あれ?あれれ?とボタンを掛け違えたかのように、それは原型を留めず崩れ去っていくのだ。
一つだけを突き詰め、他を切り捨てるような選択や姿勢がなかなかとれず、「情」に任せ、「熟考」をショートカットしてしまうので、どれも中途半端な結果しか残らない。
プロセス重視だった謙虚とも取れる姿勢は、やはり結果が伴わないと不安になる。
一体なんだったのかと不安になるのである。なら「結果」とは何なのか、それすら明確にならないときもある。

だれかがこうした、ああしているというストーリを耳にしたとき、自然に沸き起こる自分の感情や反応が、なんだか最近妙にリアルであり、それが自分のやりたかったことをクリアにしてくれているような気もする。

最近一つわかったのは、自分はあと1キロ以上泳がなければならないのに、行けるところまで、息継ぎなしでとにかく早く到達してやろうというタイプらしく、上手に息抜きしながら、最終のゴールに向かえないのである。
いや、そもそもゴールなどなく、死ぬ寸前に、ああ、ここまで来たのかと回顧するのが、人生の作法なのかもしれない。そうなると早さなどあまり意味は無く、どこまで遠くまでいけるかがポイントとなる。
あいにく、便利な方位磁針はもってないので、自分の向いている方向がbetterであると祈るほか今は手立てが無い。
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by stoneroses8010 | 2006-11-27 20:34 | 我思ふ
2006年 09月 29日

王道

そろそろ研究にシフトしつつも、来週から東京出張だし、今週末は知人の結婚式ときたもんだから、なんとなく身が入らない。ここで力を入れても、ちょっと間隔があいてしまうことがその原因か。本当にいやなタイミングで入ったものだ。まあ、愚痴を言ってもしょうがない。
東京では、国立近代美術館の「モダンクライシス」と世田谷美術館の「ルソー」展は観ておきたい。

美術史全般を見直していた話は前回したが、それを深めていくうちに、自分に欠けている知識が一つわかった。それは美術史学の型である。イコノグラフィなのか、作品を起点とした社会学なのか、いろいろアプローチはあるだろうけど、意識して学んだことがないので、その「型」がいまいちつかみづらい。「型」についてアレルギーを持つ人も多いだろうけど、「型」を持つ分野において、その文脈を踏まえずに(なにも知ろうとせず)、「個」を引き出そうとするほど、私は才気だっていない。よって、その分野の既存の「ルール」をまず知らねばならないと今は思っている。
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by stoneroses8010 | 2006-09-29 23:35 | 我思ふ
2006年 09月 26日

部屋整理

なんだかんだで疲労しているので、ここ数日は何も考えずに過ごそうと決めた。
すると、部屋のいたるところに目がつくもので、散乱している本と本棚の整理をする。
雑誌関連がなかなか整理がつかない。スクラップするなど工夫を考えないと。

あと、blog。トラックバックスパムが酷いので、トラックバックを一時停止しました。
blog草創期は、トラックバックという革新的(?)なコミュニケーションツールに期待していたのだが、どこも遣いあぐねている感がある。いまでは存在意義すらあやふや。企業関連でやってる社長blogなどで一工夫するなど見せて欲しかったが、使い方が画一的。
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by stoneroses8010 | 2006-09-26 22:15 | 我思ふ
2006年 08月 29日

次はドクメンタ

時差ボケで恐ろしく体が重いが、仕事復帰。

10月早々には東京へ出張だから、その準備を進めないとならない。
NYCで単独でフラフラ街歩きしたことが、職場の他の人にとってはそれなりにすごいことらしく、色々話をする。「普通です。皆さんもできますよ。」と言ってあげる。

来月あたりから、研究モードに切り替えながら、某ギャラリストの方との戦いも再開しなければならないのだけど、正直、何を言われようと世間に打って出るしかないんじゃないかなと大胆に思ったりもする。「祈り」ではなく「コミュニケーション」のために。
それまでには、あれもせねばと色々時間がかかってしまうのですがねぇ。
そろそろ論文ですしねぇ。

そして、また行きたくなってきたぞ、海外! 次はドクメンタを見ることが目標だ。
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by stoneroses8010 | 2006-08-29 04:50 | 我思ふ