確証はない。それを信じるしかない。

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2005年 03月 30日

陣中見舞い

以前担当していたボランティア養成事業のボランティアの学生たちが30日、31日に自ら企画、運営している宿泊事業やっているというので、差し入れを持って陣中見舞いする。自分が担当していた時には、まだ初々しかった彼(彼女)たちが精悍な顔つきで周りを気遣いながら冷静に判断を下し事業を楽しむ姿を見ることができ、人間の成長を肌で感じうれしくなった。その反面、事業中にこういうところに気づいて欲しいという細かいことから、ボランティアの養成制度のあり方に至るまで、いろいろ改善したいところも見えつつ、口を挟めないもどかしさを感じた。

彼(彼女)らが今、「楽しんでいること」は非常にいい経験だと思う。自分が楽しくなっていると同時に、気づいたら周りが楽しんでいたという状況を作っているからだ。が、何かもったいない。深刻に考える必要はない。事業で見せる「笑いながら楽しむ」その裏で、もっと真剣さを持って、必要な知識の吸収やマネジメントに貪欲になり、「意見をぶつけながら」「悩みながら」対話して事業を組み立てることでちがった楽しみが生み出せるはずだ。そう思いながらも、彼(彼女)らの顔を見ると、こういうのもいいかと思ってしまうのである。
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by stoneroses8010 | 2005-03-30 21:12 | 我思ふ
2005年 03月 29日

滋賀県立琵琶湖博物館 参加型研究

滋賀県立琵琶湖博物館という施設がある。「湖と人間」というテーマを持って、琵琶湖周辺の自然、歴史、暮らしに関する資料情報の収集、保存、活用する運営によって地域固有の資産を発掘することに成功している。近年、ミュージアム・マネージメントのあり方が議論されるなかで、「地域資源の発掘、見直し」は外すことのできない運営方法といえる。しかし、その「地域資源の発掘(琵琶湖のことを徹底して掘り下げているのか、スゴイですね)」にだけ目を奪われてしまうと、この施設の運営の狙いを見逃すことになる。では、その狙いとは一体どんなものか。

この施設は資料情報のストックを利用できるようにするということを応用して、利用者年齢層(ターゲット)を拡大させ、リピーターの確保に直結させる機能を充実させている。施設の中長期目標にあげられている「資料活用型博物館」として、資料の収集し、利用者の必要に応じて利用、活用できるようにしている。情報ストックの利用である。しかし、ただ利用できるだけならば、図書館で本を借りることと変わらない。そこで一歩踏み込んで、その情報を利用した住民が研究や調査を行い、その内容を発信する機会を施設側で確保している。飛び入りで参加できる「身近な環境調査」、任期を設定して継続的調査を行う「フィールドレポーター制度」、詳細な調査を学芸員と協力して行う「グループとの共同による研究調査」と3つの「参加型調査」という住民と協働の研究活動を行っているのである。これらの研究形態は参加者の敷居の高低やテーマの難易度を分けることで、どの年齢層にも参加できる仕組みを作っている。これらの研究に参加した人たちは、自分の調査がどのように整理され、発信されるのか気になるだろうし、発信されたものの中に自分の情報が生かされている喜びや新たな発見を得る楽しさを得ることが出来るだろう。そして、施設で蓄積された情報を利用しながら新たな調査内容に参加する意欲を持ち、施設の資料情報を利用して知識や理解を深めようとするのである。資料情報のインプットとアウトプット機能の循環がここにはある。

また、こうした協働調査の推進やインプット・アウトプットの循環は、多くの人間が接触し、「対話」する場所を作りつつある。研究発表の場を提供することや、「はしかけ制度」のように参加した住民が施設の企画・運営を行うことは、参加した人間の価値観をぶつけ合う機会を施設で作ることといえる。このぶつかり合いは、研究や企画に参加した個人の地域に対する関心を高め、地域資源の再発見しようとする意欲をかきたてる。その過程で理解と知識を深めた住民は次に施設と「対話」しようとするだろう。施設としても、それは願っているところで、住民と「対話」を経ることで地域の見直しや施設運営の使命、目標、達成基準、業績を磨き上げようとする。HP上の「中長期目標」に掲げている2015年の到達目標「対話支援型博物館」に向け着実に運営を進めていると言えるだろう。

地域と向かう合うという今やミュージアム・マネジメントの基礎となることを始点としつつ、「参加型調査」という人と知識が交差するシステムを作り、施設運営に参加する住民を増やし、「対話」させる。それにより、施設運営の「民度」とマネジメントの強化を図る姿がそこにある。マネジメントが暗礁に乗り上げている他の施設は「ウチでもやってみよう」と飛びつきたいところだろう。しかし、このシステム構築のプロセスを参考にするならまだ理解はできるものの、コピー運用は地域差があるため望ましくない。飛びつく前に、各々の施設や周辺地域、住民の意識を入念に把握して、地域ごとに応じた方法を吟味することから始めるべきだろう。
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by stoneroses8010 | 2005-03-29 22:16 | 我思ふ
2005年 03月 27日

自動車税

自動車にあまり乗らなくなったので、廃車の見積もりを出してもらいにディーラーに行った。
4月1日現在の所有者に自動車税がかかってしまうので、急いで手続きを進める必要がある。が、ディーラーの方に教えてもらったのですが、自動車税って月割課税してもらえるのですね。(軽自動車税は月割課税はできないのですが。)
まあ、1ヶ月分なら納付してもかまわないかと思い、ゆっくり処理を進めることを決める。
印鑑証明を取るのにも時間かかりそうだし。
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by stoneroses8010 | 2005-03-27 16:35 | その他
2005年 03月 26日

「エメラルド・カウボーイ」 

c0017549_14223388.jpgとなりのホールで列を成して「ひとまず走れ」の上映を待っているおばさまたちを横目に「エメラルド・カウボーイ」を観ることにする。

アクションドキュメンタリーとはどんなものかと胸膨らませつつ観たのだが、コロンビアでエメラルドの鉱山、輸出会社、警備会社を経営する『コロンビア・エメラルド・センター』の社長早田英志の自叙伝映画だった。
前半部分はドラマ仕立てで、二枚目南米人扮する若かりしころの早田氏のエスメラルデーロ(エメラルドの原石を取引するバイヤー)の活躍ぶりを描く。後半は早田氏自らの出演で、成功した社長として、家庭問題、ゲリラ、エメラルド輸出業者組合との奮闘を描く。
後半で、早田氏の会社の躍進振りによって業務を圧迫された同業者組合が、早田氏の会社を封鎖するという自力執行にでたのだが、早田氏は社員一丸となって、これらを自力で追い出すことに成功した場面があった。この場面の、ギャング風(組合)VSサラリーマン(早田氏とその社員)の取っ組み合いケンカが活劇っぽくビジュアルとして面白かった。というより笑えた。
また、コロンビアでは富に対するねたみによる犯罪が多く、早田氏の娘も誘拐されそうになる。奥さんは「もうこんな生活耐えられない」と引越しを要求する。ロスに引越し、家族はロスで生活し、早田氏はコロンビアで事業を続ける。すると、奥さんは仕事に熱中する早田氏に「なぜ戻ってこない」と怒る。こういった家庭問題がありつつ、一方で自分の持っている鉱山でそれを狙うゲリラと銃撃戦を始める。状況の大小の差はあるがこういった家庭問題や仕事の他の国にも多く見られる「日常」のトラブルとゲリラとの戦い、誘拐の危機という「非日常」のトラブルの取り合わせに立ち向かう早田氏の姿が彼のビジョンを大きく見せている。いいか悪いかは別として。
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by stoneroses8010 | 2005-03-26 20:35 | 映画
2005年 03月 26日

横浜市改革エンジン フル稼動

本屋で衝動買いした「横浜市改革エンジン フル稼動 中田市政の戦略と発想」を読了。
BAnkart関連のシンポジウムに参加したときに、PHスタジオの池田修氏の説明から横浜市の熱意ある文化政策の取り組みに興味が引かれたため購入した。

中田宏横浜市長は行政改革のブレーンとして元職員で大学教員の二人を参与として委嘱し、市長直結の「緊急改革推進本部(通称 エンジンルーム)」を組織した。従来の行政改革に見られる組織の削減、予算の削減、人員の削減という縮小再生産の視点でなく、財源確保が困難な情勢のなか、いかにして予算の硬直した運用をふせぎ、市政から「しがらみ」を解き放ちながら市民や民の力と取り入れた事業を推進できるかを目指す。
また、「財政悪化し、行政が住民に直接サービスを提供することがだんだん難しくなる。一方でコミュニティなどを書くとした市民活動が活発になる。いわゆる市民参画や行政とNPOの協働の余地がでてくる。それにつれて行政職員の役割も、事業執行者主体から事業コーディネイトに変化していく」という、行政が民の力を最大限に発揮できる事業運営も横浜市は積極的に推進する。

行政改革の部局再編成や庁内分権化(たとえば、区への予算編成権限委譲)、包括的予算配分などの財政改革から、予算のより自由な運営や組織横断的なプロジェクトチームの活動に発展させ、職員の硬直した職務遂行を解き放とうとする努力が見られる。エンジンルームの苦闘は「プロジェクトX」を思わせる。
本書第3章か書かれている「コーディネイト型行政」を目指す横浜市の取り組みの実例について。
Bankart1929の具体的事例は記載されてなかったが、歴史的建造物を市民参画の場として整備し、NPOに管理運営を任せ市民との協働を目指すことが触れられている。
池田氏は中田市政よりも以前に横浜には、芸術文化都市の運営を目指す風土が存在していたと指摘していたが、詳細な記述はない。強いてあげれば、市民活動推進条例の制定、「横浜市における市民活動との協働に関する基本指針(横浜コード)」の存在が触れられている程度だった。
最近の事例として東京芸大大学院が以前Bankart1929の活動拠点だった歴史的建造物(旧富士銀行)に入ることになったことが触れられていた。池田氏によると、横浜市の芸大誘致に対する熱意と着手するスピードには並々ならぬものがあったようで、Bankartへの立ち退き要請は寝耳に水の状態だったようだ。しかし、そのフォローも迅速で旧日本郵船倉庫をすぐに手配してくれたらしい。

なかでも関心を引いたのは財政広報と広告について。地方自治法に定められた「財政状況の公表」のために自治体は財政状況のあらましを市報などに掲載するのだが、横浜市は財政状況をわかりやすく解説する冊子を発行している。それに対して、よりわかりやすい表記を目指すだけでなく、民間企業の広告を積極的に掲載して広告料を稼ぐという姿勢がよい。「市の補助金で運営されるが外郭団体の広告をとっても、税金が中で回るだけで実質上の歳入増にならない」のである。また、公用車のホイールカバー広告や市のHPのバナー広告という広告媒体の拡大する姿勢もよい。(他の政令指定都市では、大阪市や福岡市などに民間企業のバナー広告が確認できた)

事業改革や財政改革に触れられた部分が多いが、的確に事業を運営するということは関わっている人間(行政職員や市民)のインセンティブをどこまで引き出せるかにかかっているだろう。明確なビジョンとやる気を持った職員がいても、既得権益や組織運営、予算執行に阻まれてしまったら、行動に見切りをつけてしまう。市民のニーズが多様化し事務が煩雑膨張する一方、税収が減少する状況の中、市職員がすべてをフォローすることはできない。定期的な人事異動を繰り返し職員のノウハウが蓄積されることが少ない特徴を持つ職員は分野が専門化するほど、事業運営の舵取りに右往左往する。横浜市では「アントレプレナー精神」を生かすため、既成の人事異動の慣習や組織を打破しようとするところが秀逸だ。また、市民に対しては、市政の事業主体になりうることや市政に対して責任があることを明示して意識改革を図り積極的に事業に呼び込み、協働の可能性拡大を図る。
実例を見ても、この点が一番大きな効果を及ぼしていることを感じる。
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by stoneroses8010 | 2005-03-26 12:36 | books
2005年 03月 24日

体調不安定

早起きしたのはいいのですが、なんだか風邪気味です。あー、よくない。
出勤まで時間があるので本でも読んでおく事にします。
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by stoneroses8010 | 2005-03-24 05:59 | その他
2005年 03月 21日

「きのうよりワクワクしてきた。」  状況の力に負けないブリコラージュ

c0017549_22455774.jpg国立民族学博物館「きのうよりワクワクしてきた。 ブリコラージュ・アート・ナウ 日常の冒険者たち」を観る、というより体験する。

この企画展のコンセプトについては、こちらを参照のこと。ものすごく丁寧に書いてある。
購入した図録によると、コンセプトの根源はレヴィ=ストロースの「野生の思考」にある。その典型的な行動形態である「ブリコラージュ(器用仕事)」とは、「ありあわせの道具や材料を用いて自分の手でなにかを作り上げる仕事のこと」をいう。そこに「自分の考えで表現すること」「みずからの痕跡を(人生を)のこしていくこと」を見出し、「現代人のかかえるアイデンティティ・クライシスや生きる意味の喪失感に対して、人間性の回復を訴える」ことを主旨とする。
その時々の状況や環境に応じて欲しいもの、整合性を持った必要なものを造るのではなく、既存のものを使う意味づけを度外視したモノづくりにより、自分の思想、嗜好、経験、根源的な衝動により「造る」ことを回帰させ、確立した自己やメッセージを発動させている。

c0017549_22435145.jpg展示空間はワンフロアを使って「家」をイメージしており、「駐輪場」「キッチン」「玄関」と名づけられた擬似的な生活空間で、出展アーティストたちが作品を並べている。図録によれば「多様な由来や背景をいったん棚上げにしながら、物の個性を肯定する空間」を試行錯誤した結果、「家」というイメージにたどり着いたらしい。
「順路」と銘打たれているが、そのようなものがないぐらいに、動線が存在しない。設置してある展示物には座れるし、作品に触れることもできる。家で、座椅子に腰掛けテレビのリモコンをいじるような気楽さである。(無論一部、触れることもできないし、立ち入ることもできない部分もあるが、通常の特別展と比較すれば、展示作品との一体感は秀でている。)

テルミンを演奏する女性が現れ、彼女の発する高音の叫びにも似た声による弾き語りがはじまる。演奏という領域を超えており儀式に通ずるものがある。それに呼応するかのようにあちらこちらでドラムや民族楽器のパフォーマンスが合わさり、さらながら音のブリコラージュの空間を造る。その中央で、音に身を委ねる者もいれば、淡々と雑誌の切り抜きに勤しみコラージュ作成に集中する者もいる。その状況を凝視し続ける者もいるが、私も、ここは空間に身を任せ、思考を停止して内なる表現する欲にすべての権限を譲りカメラと身体を一体化させることとした。まあ、これも一つの「参加」でしょ。

今回出展の障害のある人のモノづくりも見逃せない。服部正の著書「アウトサイダー・アート」にて若干の予備知識をもって、鑑賞に臨んだ。図録で、はたよしこが「彼らのモノづくりは、自分の心の中の出来事に実に忠実である。彼らは自分のスタイルを確立させて社会的な評価を受けることに関心はない。なぜなら彼らの動機はスタイル作りにあるのではなく、やむにやまれぬ心の必然にあるのだから。」と述べている。美術史や「主義」「派」とカテゴリ分けされた表現の文脈で作品を対峙することや視覚や観念に頼って作品を鑑賞することとは違った世界観がそこにある。また、「人の表現やモノづくりの様々な方法や知恵と、人の持つ底力への信頼を再発見することが、『今、私たちがこの時を生きる喜び』のヒントを与えるのではないか。それは言葉を換えれば、『アートの力』を言えるものだと私は考えている。」と述べている。c0017549_22461644.jpg作者の素直な表現によるモノづくりは、作者の自分自身に対する潜在的信頼を観ている人間に伝える。その信頼の伝播は、さらに多くの人に自分の表現を回帰させるきっかけをつくるかもしれない。

伊達伸明の「建築物ウクレレ保存化計画」は、思わず見入ってしまう。取り壊される建物の廃材を使って、ウクレレを製作している。「京大法経第1教室ウクレレ」や「扇町ミュージアムスクエアウクレレ」などあった。OMSのピックアップはかなりよかった。

そういや「生意気」がウロウロ歩いていた。ワークショップの最中だったのかな。
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by stoneroses8010 | 2005-03-21 16:48 | arts全般
2005年 03月 20日

在庫処分

「福岡と佐賀で震度6弱」
九州に住んでいる友人の無事を確認し、ひとまず安心する。
自室にモノクロ写真の引き伸ばし台があるのだが、諸事情により、一時解体することにした。
一人でやるから結構骨が折れる。
薬品の不要なものを処分する。
カチカチに固まったD-76に沈殿物が固形化しているイルフォードハイパムフィクサー・・・。
いつまで置いているのだ、こんなもの!
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by stoneroses8010 | 2005-03-20 17:46 | その他
2005年 03月 19日

「ライトニング・イン・ア・ボトル」 

c0017549_17365955.jpg映画「ライトニング・イン・ア・ボトル」を観る。2003年ブルース生誕100年を記念した事業の一環として2003年2月7日の夜にニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールで行われたコンサート“サルート・トゥ・ザ・ブルース”のドキュメンタリ映画である。

ライブをひたすら流す映画とは冗長に感じられるものだが、あっという間に終わったという感じです。ブルースはよく知らないが、自然に楽しんで観れた。
ソロモン・バークがよい。マフィアのような身なりでデカイ身体をずっと豪華な椅子に預け歌い続けると思いきや、被っていた帽子とるわ、サングラス外すわで、立ち上がって鼓舞するように歌い上げる、最後に客席に指差しのきめポーズ。文章にするとチープな響きになるが、その意外性あふれたメリハリに「おいおい何が起こったんだ」とぐっと引き寄せられた。

日本の地域イベントでブルースを扱ったものってあるのだろうか?
ジャズのイベントはよく耳にするが。これこれなど。
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by stoneroses8010 | 2005-03-19 20:37 | 映画
2005年 03月 18日

シンポジウムⅡ 「公設民営のアートスペースの可能性」

シンポジウム「公設民営のアートスペースの可能性」を聴きに行く。
パネラーである村田真氏がオルタナティブスペースの歴史、現状などの一通りの説明を行う。「オルタナティブは美術館という権威主義への拒絶、ギャラリーという商業主義への拒絶」というポリシーのもと、アーティストたちが廃工場などのスペースを再利用してアートスペースとして自主運営し始めた」と前置き、「今はプロセス重視のアートプロジェクトが主流」であって、「オルタナティブスペースが地域の活性化やリノヴェートに一役買っていくことになる」と締める。

次に、池田修氏(Bankart1929 副代表)より、横浜市で行われている「都心部歴史的建築物文化芸術活用実験事業」の一環として、横浜市の都心部にある歴史的建造物をアートセンターとして活用する「Bankart1929」事業の活動が報告される。公設民営とは、簡単に言うと民間のノウハウや資金を活用して、地方公共団体や国が公共のサービスの供給責任を果たすものである。横浜市が施設の光熱水費、改修費、事業委託料など固定資産の支出を行い、事業運営費については、公募により選考された団体(この場合は、STスポット横浜とYCCCプロジェクト)が、事業収入や施設利用料収入により賄う。当然、収益を次なる事業へ再投下してもかまわないし、人件費などに可変的に充当することも可能だ。具体的な数字を挙げていたので取り上げると、施設全体の運営費が1億円程度。横浜市の支出は年間5千万程度であり、あと5千万を運営する2団体が事業運営により財源として充てる。この数字はかなり優良といえる。中小の市町村(人口30~50万程度)の文化施設でも、人件費入れれば、1億の予算を見積もらなければならないところもある。それを人口300万を誇る政令指定都市が、5千万の支出で民間専門識者のノウハウ込みで施設運営をするのである。

事業運営のスタンスは「とにかく、市民、アーティストの申し込み事業(公演、展示、ワークショップなど)をできるだけ受け、コーディネイトする」ことだという。また、施設にある設置機材(照明、壁面、カウンター)はすべて移動式とした施設空間のフレキシビリティと年中無休、時間外利用もできるだけ応じるという時間のフレキシビリティの確保は必要と語る。年間300以上の事業はそこから生まれる。
さらに、来た人に対する会話、心遣いを大切にしてリピーターをつくることにも神経を配る。それは、施設が年中無休であることも含め、施設がいつでも老若男女の居場所になり、市民に対して「開く」こととして当たり前と述べる。

印象に残ったのは、受け入れた事業に対しては、必ず収益性を確保しようとすることだ。オファーのあった事業について、収益が見込めないのであれば、アドバイス、指導して収益性を上げるようにコーディネイトするのである。民間の製作会社ならともかく、公設の施設がここまで指導するとは考えられないことだ。「利用団体が収益を上げることで、Bankartも収益を上げる」のである。

また、指定管理者制度について、池田氏は『指定管理者制度は「制度」(この場合管理受託制度のことを言っているのだと思う)から「制度」への移行にすぎない。条例の中での動きになってしまい、自由な活動ができない』と語る。指定管理者制度は大まかに言えば公設民営政策の一つになるが、「利用料金制度」をフォローしていても、所詮施設の条例の中でしか動けない。開館時間や料金改定についても条例との検討がつきまとう。Bankartの事業は池田氏の報告から「自由であること」、つまり、収益を確保する経済活動についての自由、施設を開くことの自由が鍵になる印象を受けた。とすると、文房具一つを購入するにも規定のルールに従わざる得ない地方公共団体、国のルールは煩わしい事この上ない。

また、Bankartのここまで活発な活動ができるのは、横浜市の努力も並々ならぬものがあったようである。この事業が発足するために、長年の検討を重ね、事業を委託する「仕様書」もその物理的厚みもさることながら、「こうしたい」という熱意が伝わる内容だったようだ。専門識者サイドにある池田氏に『我々はその「仕様」に沿って活動しているだけである』と行政が語らせるほどであるからその熱意には恐れ入る。
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by stoneroses8010 | 2005-03-18 21:10 | arts全般