確証はない。それを信じるしかない。

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2005年 04月 30日

安井仲治と白髪一雄

昨日に引き続き、資料収集のため電車を4本乗り継いで兵庫へ。目的地まで片道2時間を要した。道中読書で過ごすもすぐ飽きてしまったので、車窓を眺めていた。そうするといろいろ考えてしまうものである。

最近、ある写真の見方がわからないから、どこがどういいのか説明してくれ。という類の質問を受けた。正直戸惑った。自分のその作品に対する主観や素晴らしさを述べるのは容易いことだったが、それを論理的に説明することが質問してきた人間の疑問を解消することにはならないと思ったからだ。観ている側が作者による自己完結した作品に対して、様々なことを自由に感じ取ることが芸術文化を享受することのルールと考えている私にとっては、その質問してきた人の「わけのわからない」と感じる作品に対して、一からここがこうで、あれがああでと説明することに自己嫌悪を感じてしまう。仮に説明したとしてそれで納得したら、今度はその人自身に嫌悪を感じてしまう、「じゃあ、キミはこれに対してどう思っているのか」と。
そのようなことを思い出しつつ、ここでまた違ったことを思い出す。それは「芸術文化享受のための能力を育成させるための教育と特定の芸術文化のエクセレンスを持続的に伝達することが必要である」という主張である。ここでいう「芸術文化のエクセレンス」とは何を指すのか。上記を含めた私の思うところではそれは享受する人によって無数に存在している可能性がある。それをなんらかの形でコンセンサスを得る手段を講じて定義づけるとはどういうことなのか。定義したものがあったとしてそれを持続させるとはどういうことなのか・・・。

ある程度資料を集め、地元の図書館を出た時は、もうすでに16時を過ぎていた。急いで神戸に戻る。どうしても兵庫県立美術館でやっている「安井仲治」展を観ておきたかった。
会場に18時前に入ることができ、人も疎らだったのでゆっくり鑑賞。
安井仲治は、絵画ではない写真独自の表現をドキュメンタリやシュルレアリズムなどの様々な手段を用いて突き詰めようとした戦前の写真家。
「(機関銃)」は近景にあるシャープな機関銃と遠景にあるボケた兵士のコントラストがポスターのデザインを見ているようで洗練されている。「(磁力の表情)」は抽象的だが、引きつける力強さを表現している。磁石に吸い付く蹉跌を取ってみたらこうなったという実験的なニュアンスもあり。また、クラゲを地面において撮ったり、ユダヤ人やサーカス団員を撮ったりと様々な被写体を向き合っている。「恐怖」という女性が怯えている作品も秀逸。
常設展も観ておく。新収蔵品である白髪一雄のアクションペインティングに線の太細、掠れ、はらい、色に感情の発露だけに留まらない礼拝的なものを感じる。

美術館を後にして、20時半過ぎから大阪の飲みの現場に合流す。
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by stoneroses8010 | 2005-04-30 22:54 | arts全般
2005年 04月 29日

滋賀へ遠出

車を走らせて資料収集のため滋賀へ。早めに家を出ることが出来たので、9時過ぎには琵琶湖でボートを漕いでいる学生たちを目にすることが出来た。天気も良かったのでカメラを持ってきて正解だった。が、じっくり写真を撮る暇はなかった。地元の図書館などを巡って帰路に着こうとしたときはすでに17時過ぎ。滋賀県立近代美術館でやっている「高田敬輔と小泉斐」展を観ることが出来なかった。京都国立博物館で「曽我蕭白」展をやっているので併せて観ておきたかったのだが。
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by stoneroses8010 | 2005-04-29 19:29 | arts全般
2005年 04月 29日

トリエンナーレ第1号作品の完成

本日、山下公園にて<横浜トリエンナーレ2005 キック・オフ・イベント>を開催される。
ベルギーのインスタレーション作家、ルック・デルー氏の新作を第一号作品として、その完成に伴い、イベントを行うとのことである。

ディレクターである川俣正氏の「ディレクターズメッセージ」によると、今後も「オープンに先立ち、様々なイベントや公開制作が行なわれ」るようだ。
「何かが常に同時進行している場所として展覧会場を位置づけ、そしてそれらの総体として展覧会というものを考えていこうというものです」ということから、このイベントもトリエンナーレ開催までのプロセスという枠組みでなく、トリエンナーレそのものとして位置づけてもよいように思える。
ディレクターズメッセージの「作家、作品、現場、観客がそれぞれインテンシヴに関わる」ことを目指したもので、これまで全国各地で見られる展覧会よりも、時間や空間が芸術そのもとして、作品とより親密になっている。

別の見方をすれば、観客と作品という従来の展覧会という集合体から、時間、空間を展覧会の構成要素として含ませ、これらによって観客と作品のヒエラルキ関係を緩和することを期待するものと言える。今後もこの緩和のために様々な要素が加えられることになっていくのだろうか。いや、そもそも空間と時間は観客と作品の関係に内包されているものであって、それを芸術として取り出す作業がトリエンナーレなどに見られるワーク・イン・プログレスなのか。
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by stoneroses8010 | 2005-04-29 07:18 | トリエンナーレ
2005年 04月 27日

覚悟とコンスタンティン

諸般の事業により、休暇を取って授業へ。帰りが15時をすぎてしまったので、予定していた京都国立博物館の「曽我蕭白」展観覧はおあずけになってしまったが、その代償もあってか、これからすべきことがある程度輪郭を見せつつある。はっきりしていることは圧倒的な時間の制約。しかし、これについて覚悟はしていたことなので仕方なしとする。
「覚悟」というのは…いや、何も言うまい。

c0017549_23132384.jpg夕方、それでも映画を観る。「コンスタンティン」。
中ボス倒して、大ボス倒しておしまいという「活劇のセオリー」が身体に染み付いている方には、消化不良だったかもしれない。アメリカ映画がこの活劇のセオリーに基づかないものを製作することを苦手としているためか、それともこの映画に限ってなのかはわからないが、結果として終盤の流れを冗長にしてしまっている。
また、「大天使ガブリエル」が明かす目的に少し腰砕けしてしまったが、そのチープさが、人間の数を天使と悪魔の「賭け」というゲームの対象にする云々ということとつながっているのかもしれない。
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by stoneroses8010 | 2005-04-27 23:14 | 映画
2005年 04月 26日

GWにむけて

ゴールデンウィークに向けて、やるべきことをまとめている。予定の詰めすぎはよくないと思い、自分自身に手加減してしまう。ボチボチやっていきましょう。最近は夜明けが早い。
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by stoneroses8010 | 2005-04-26 06:09 | その他
2005年 04月 24日

アンドレ・ケルテス再考

午前中は雑務。午後の数時間が最近もっともゆっくりと時間が流れているような気がする。これも今のうちだけかも。少しのんびりした後、買う前に目を通しておきたい書籍があったので、地元の図書館に向かう。

目当ての書籍を借りることができたのだが、ふとアンドレ・ケルテスの写真集が目に止まったので、手に取る。一つ一つの彼の作品を目にしながら、そういや、写真を始めたころ、目標としていたのは彼の作品に見られる無駄のなさだったなと思い出す。年を重ねるごとに、多くのものを目にするようになってから彼の作品に物足りなさを感じ、もっと感情表現の強いものに憧れるようになった。それからしばらくは、彼の作品を目にすることはなかった。
しかし、今こうして見ると、あの時とはまたちがった印象を受ける。抽象的な被写体の捉え方は、くどいメッセージ性を排除し徹底した記録を感じさせる。しかし、面白みがないわけでなく、ちょっとした工夫でその場の空気を感じさせるように心がけてある。それは読み手のことを配慮しながら書いてあるBlogのようと言えば、そんな的外れでないかも。いや、洗練された日常空間のオプティカルデザインと言いたい。などなど。
自分の中で学生時代の回顧と何かを発見したときのような興奮が渦巻き、なんだかわからない心的状況になっていた。

その後は、スタバでカフェモカshortとマシュマロチョコレートクッキーをオーダーして読書。
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by stoneroses8010 | 2005-04-24 22:24 | photo
2005年 04月 23日

戦慄とネタもん

朝から授業へ。ロバート・メイプルソープの写真集を目にすることになる。彼の写真は戦慄を覚えさせる。戦慄という感覚のない人生ほどつまらないものはない。その写真集の持ち主である先生から、写真集の付録(なのかな?)である数枚のメイプルソープの写真をいただく。額が余っていたはずなので入れておこうと思う。マットカットも額縁屋に行ってやってもらおうかな。

c0017549_14135863.jpg夕方まで授業を受けた後、大阪へ繰り出す。観たい映画があったからだ。レイト上映まで時間があったので、しばらくドトールで読書。スタバが近辺になかった。
真夜中の弥次さん喜多さん」を観る。しりあがり寿による原作があるようだが、こんな感じなのだろうか。「ピンポン」はかなり原作に忠実で完成度が高いものだった。DVDも購入してしまった。さて、内容は映画館を出た後、何の話かわすれてしまう二時間全編ネタものである。山口智充のドラァグクィーンっぷりが秀逸だった。

しかし、映画館で観るほどのものかな。映画館で観るというのは、映画館という空間のなかで二時間座席に座ってみるという映画を観る人間にある程度の規範に参加する義務を潜在的に与えるものであるが、そこで自己完結した作品を上映することで、観る人間にビジュアルのよる芸術享受を、その場の時間と空間により増幅させるものである。
いや、作品の良し悪しを言ってるんじゃなくて、映画館よりも自宅でDVDで観たいと単純に思っただけ。
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by stoneroses8010 | 2005-04-23 23:03 | 映画
2005年 04月 22日

採算性と教育

教育委員会の職員の方と飲む。今回の職場異動で前の税務関係の職場から教育に出戻りした形となった。最初はどうでもいいような愚痴から楽しく始まったが、そのうち、教育委員会の持つ施設の指定管理者制度へ論点が移る。興味があるだけに思わぬ展開にちと熱くなる。

その方がいうには、持っている施設が指定管理者制度によって、業務運営管理者を募るなら、施設が都市に近いという利便性もあって、候補者が殺到するだろうとのこと。私としては、民間の参入もやぶさかでないが、地域のボランタリー団体(NPOなど)もそれに参入して欲しいところであると意見すると、採算性がとれるかどうかが鍵になるという。私としては公立施設がボランタリー団体との協働によって、地域の個人の潜在能力を開放させ、市民の自主的な運営参加と課題の提示、そして批評と創造の場の確保が見込まれるのではないかとの論旨を展開した。しかし、その方は税務関係の職場にて、ある程度「底」の生活も見てきている経験もあってか、民間にしろ、NPOにしろ、即時的に採算性が取れるプレゼンできないようでは、市民は納得しない。現在の直営による、地域の任意団体とのゆるやかな協働は、もはや持ちつ持たれつのなれあいとなり、指定管理者制度がその延長にあっては困るとの反論を頂いた。詳しい話は書けないが、それもある程度は納得せざる得ない現状が理解できた。19世紀の経済学者W.モリスは市民の小住宅の中に芸術文化のデザイン性に富んだ調度品を導入することで、生活(生命)を豊かにすると言ったが、「底」の生活は、それすら適わない現実があることを、私も知っている。

だからと言って、この方の言い分にも了承しがたい。それでは、いつまで経っても、施設の運営が採算性の有無に限定されてしまい、施設の本来の教育機能を発揮できずに終わってしまう。芸術文化の話に限定してしまうが、市民が美の享受能力を発達させるには、その学習と教育が必要とJ.ラスキンは言う。そうであれば、施設はその教育のための行政の財源投資の場として存在するべきではなかろうか。地域のボランタリー団体による指定管理者との実践的協働で、行政はラスキンの言う教育的役割を果せるだろうし、その指定管理者が芸術文化への享受能力の底上げを運営の大儀として掲げるならば、二重三重の相乗効果も期待できる。それでかつ採算性が取れるならばもちろん言うことはない。
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by stoneroses8010 | 2005-04-22 23:12 | 我思ふ
2005年 04月 20日

アドビ システムズ社がマクロメディア社を買収

アドビ システムズ社がマクロメディア社を買収

むむむ、アドビ系ソフトを多用する私にとってはかなり目が離せない情報です。
近々MACのノートを購入して、そこに、PhotoshopとIllustratorは入れておこうと目論んでいたのですが、ちょっと様子見。Illustratorはともかく、Photoshopはあまり変化ないかも。いやあったとしても、Photoshop5.5とIllustrator8.0でもそれほど困難な局面に陥らないので、別に気にしなくてもよいかもしれない。GoLiveはDreamweaverの影響もあって、いろいろ楽しいこと起こるかもしれませんね。なによりもコストパフォーマンスをなんとかしてほしい。
ともかく、色々考えるだけでも楽しいニュース。
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by stoneroses8010 | 2005-04-20 18:54 | その他
2005年 04月 16日

朝から授業。そしてもちろんスタバに映画。

昨日の同僚の送別会のおかげで早朝からアルコールでまどろんでいるが、朝から夕方まで授業のため出掛ける。ガイダンスが多かったがなかには議論好きの先生もいて、「私に探せない文献はほとんどない」と豪語される。SBIの北尾CEOをなぜか思い出す。学者であれ、芸術家であれ、経営者であれ、良きにしろ悪しきにしろ、確固たる自信をもっているものであり、嫌悪する反面、憧れでもある。

4限目を終え、スタバにてラテshortとマシュマロチョコレートクッキーを食しながら
今後の予定を組み立てる。
その後、急いで映画館へ。忙しいとわかっていながらどうしていってしまうのだろうか。よくわからない。

京都シネマにつくとまだ時間があったので、「shin-bi」へ。MOTOKOの「京都」写真展である。単品2作。20枚くらいの組1作。組では「枯山水」「絵屏風」というすでにだれにでも認識されている象徴を加え、スローライフを感じさせるスナップを交える。「京都」というより「和」という雰囲気である。京都の「名所」でかろうじて「京都」を保っている印象を受ける。「京都」を表現する難しさを感じる。自分ならどう撮るだろう。スナップは出尽されているし、あまり上手く撮れないと思うから、オプティカルな面を強調してしまうだろうなぁ。具体が最近しんどいもので。寒天のようなゼリーのような和菓子の描写が秀逸だった。

c0017549_11501434.jpg「コーラス」を観る。ジェラール・ジュニョが主演。今は亡きジャック・ヴィユレと並ぶ名優。フランスの片田舎にある寄宿学校に赴任した音楽教師が、親元と別居を余儀なくされ、寂しさを悪戯で紛らわす子どもたちに音楽(コーラス)を教えるという話。
2時間近くあったが、ずっと集中して観れた。あまりない経験である。
音楽教師が生徒たちの心を知り、鬼校長の生徒に対する折檻をかわしながら、生徒たちの才能を延ばし、夢を持って生きることが大切だということを教える。映画でだれもが素晴らしいと感じるポイントをはずさない。それよりも印象に残ったのはその音楽教師が生徒の悪いところは悪いをきっぱり言い、時には罰を与えるところ。それがある程度「それはないだろ」と不条理に感じさせるところが、その場独自のルールによって生徒を教育(いやな言い方だが)する学校の教師のあり方が描写されているようでよい。学校の教師とはそういうもので、行き過ぎは論外として不条理であってもその場のインフォーマルなルールをつくって生徒を指導していくものである。
音楽教師の奮闘によって、生徒たちが生活態度を変え、音楽を通じて心を通わせるという点で、教師の奮闘振りだけで物事が進んでいるよう見えた。教師と生徒という構造が強く、生徒と生徒の間のやりとりの描写があまりない。音楽って縦のヒエラルキ(映画だと指揮者と生徒)も必要だけど、横のつながり(生徒同士の認め合いと批判)ももちろん厚みが必要なはずで、その点の描写がもっとあってもと思った。その方が生徒の成長がわかりやすい。
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by stoneroses8010 | 2005-04-16 20:21 | 映画