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2005年 12月 31日

Good bye 2005

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「運動体」でありつづけるために
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by stoneroses8010 | 2005-12-31 23:55 | photo
2005年 12月 30日

フィルム現像とその他

午前中から溜まりに溜まっていたフィルムの現像に励む。
ブローニーフィルムも含まれていたので時間が予想通りかかってしまう。35mmなら2本同時現像が可能なのだが、所有している現像タンクの構造上、ブローニーフィルムは1本ずつの現像が限界。フィルム現像は何年やっても面白みがないと感じる。ラボに出すとコスト高なので、自分でやらざるを得ない。

昨日の店で、気持ちいいBGMがかかっていたので、誰の曲かと店の人に訊ねると、Stacie Orrico ですよとのこと。そのときは、何か違うような気もするんだけどと思いはしたが、酔っていたので納得してしまう。今日、ネットで検索してみたが、やはり違っていた。Norah Jonesかと思い調べなおしたがやはり違う。なんだったのだろうか。
車のエンジンオイルをこの休暇の間になんとかしておこうと思い、オートバックスに出掛けるが、50分待ちという。年の瀬の忙しい時にそんなに待てるかと思い、諦めて必要なものを2,3買出ししていったん帰宅。

夜から梅田で今年最後の忘年会があったので、早めに繰り出して、スタバにて、研究資料に目を通しておく。
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by stoneroses8010 | 2005-12-30 23:49 | その他
2005年 12月 29日

東京ゾンビと忘年会

年末休暇に入るが、午前中はいつもどおり雑事。
午後からは時間を見計らって撮影に繰り出す。
自分にとって正しい時間に正しい場所に出掛けることは非常に大切なことで、いま取り組んでいる一つのテーマに対しては、だいたい15時から16時がそれに当たると言える。
それは同時に、至福の時間帯とも言える発見の連続。

その後、映画を観る「東京ゾンビ
浅野忠信にハズレなしと勝手に決め込んでいた定説を覆した一作。私は一度も拝見したことはないが、マンガが原作としてある。原作とこの映画を知る人によると、「何か違う」らしい。特にコメントはない。
まあ、1ヶ月ぶりに映画を観れたことで多少満足している面もある。

夜からは、いつもよく行くお店で忘年会。帰り際におはぎと赤飯をお店の方からもらう。明日の昼食あたりにちょうどいい。
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by stoneroses8010 | 2005-12-29 22:16 | 映画
2005年 12月 27日

from kyoto

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respite?
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by stoneroses8010 | 2005-12-27 09:03 | photo
2005年 12月 24日

痕跡

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それは絶え間なく刻まれる
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by stoneroses8010 | 2005-12-24 16:32 | photo
2005年 12月 22日

正月準備

院では集中講義が始まっているらしい。休暇を取って、無理したら行けたかも知れないと思っていたが、やはりそう甘くはなかった。全部出席できなければ意味ないと思い、結局欠席することを選択した。まあ、なんとかなる(と思いたい)。

研究関連の資料を図書館で揃える。今までの論点を補強するものと、今後の観点のつながりになるもの、そして先進事例の周辺情報を集める。コピー代500円ほど。文献の検索途中、「おお、こんなものもあったのか」と寄り道してしまい、つい時間を喰ってしまう。

場所を大型書籍販売店に移して、本を2冊購入。向かう道中金券ショップで図書カードを7,000円分購入。図書券は値上がりしていたため、カードと券を同額購入した場合、カードのほうが割安なのだ。

その後、ヨドバシカメラで6×7用ネガキャリアとフィルム数本を購入。約7,000円程度。
無論、合間に移動代や食費が加算される。一日で一体どれくらい使っているのだろうか。
あまり、考えたくない。
しかし、正月にゆっくりと写真を焼きながら、研究も多少進めることができる環境は保障された。印画紙と薬品のチェックもしておかなくては。

帰り、猛スピードで自転車を走らせ、カーブに差し掛かったときに、思いっきり転倒する。
雪は解けたものの、路面が凍結していたからだ。肘と腰を強打するが頭は打ってないようだ。あまりの出来事だったからだろうか、転倒した後、仰向けになった状態で20秒ほど、ずっと空を見ていた。「ああ、そういや、起きなきゃな」と思い身体を動かしたのを覚えている。
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by stoneroses8010 | 2005-12-22 20:24 | その他
2005年 12月 20日

stability

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More
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by stoneroses8010 | 2005-12-20 05:10 | photo
2005年 12月 18日

エアコン修理

さきほとまで、45分ぐらいかけて続いてました。

無論その間は窓全開放!
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by stoneroses8010 | 2005-12-18 11:54 | その他
2005年 12月 17日

ボランティアと指定管理者制度

院の授業。

発表の日。あまりゼミに参加できない私にとって、他の人に自分の意見を聞いていただく数少ない貴重な機会。なぜかバタつく今週の仕事のなか、昨夜ギリギリまでかけてレジメを作成して臨む。中間発表の中間発表みたいな位置づけ。
たどたどしい説明になってしまい、内容を理解していただけるか不安だったが、なんとか無事に終わった。
以前、とある方から「ちゃんと話で説明できてないのは、自分の頭でよくまだわかってないから」と言われたことがあるが、そうかもと思ってしまう。
無論、完全にそうとはいわない。そうならば、artsによる表現が成り立たなくなってしまうから。
後に発表された方のボランティアとバイトの混在するカフェ運営の問題点(悩み)を聞く。
無償であるボランティアと有償でありシフトに定期的に入りノウハウを知るバイトの関係性について。
私もボランティアの報償については考えたことがあるが、この件では、明確な答えが出せない。金銭授受の基準は一元化しないと受け手が混乱する恐れがあるからだ。また、ボランティアはその技術や知識に対する「有償」であって、バイトの労働の対価としての「賃金」とは異なる。金銭をやりとりする位置づけも異なるのだ。うーん、がんばって。
あと、「ロハス」についての発表の際、先生が下流社会」の本の紹介をされた。帰りにパラパラ見ると面白そうだったので購入。

終了後、京都芸術センターにて「古橋悌二LOVERS特別展」を観る。アーティストグループ、ダムタイプの中心的メンバー、故古橋悌二のビデオによるインスタレーション。
小学校の教室ぐらいの広さの闇の空間の中心にすえられたプロジェクタ数台が縦にならんで、四面の壁に裸の男女が歩く、走る、立ち止まる様を映し出す。
そのスローな身体表現の様に、R.メイプルソープをふと思い出す。
そういや、今日の授業を選択することがなかったらこういったインスタレーションも観にいかなかったかもと思う。自分の視野を広げることや、artsについて他者と話をすることができる機会が持てたという意味でも、選択してよかったと思う。
自分の表現を見直す意味でも、人とコミュニケーションしていくことは大切なことでもある。

夜、前の職場のボランティアの方が宿泊事業をやっている(この寒い中!)ので、顔を出す。気候に左右され、プログラムが変更に次ぐ変更らしく、押し押しの状態。イルミネーションのイベントの準備に寒空の中ワイワイ言いながら参加する。

また、以前の上司の方と話をする。どうも施設についての指定管理者制度の話がかなりの早さで進んでいる模様。詳しくは書けないが、美術館や博物館とはちがって、青少年教育関連の施設は専門職員やプロパーの常置が少ないため、民間やNPOが食い込む余地が比較的あるとのこと。
以前から施設に出入りしている某NPO組織はどう考えているのかと聞くと、
「なににおいても明確な管理者を査定する判断基準が公開されないと動けない」とのこと。
栗東芸術文化会館「さきら」にて現行管理財団(栗東市文化体育振興事業団)が指定をはずれ、民間ビル管理会社が指定されたことを思い出す。こちらのblogでは審査基準や審査員の公表があれば、違った結果になったかもとある。
自治体のビジョンを明確にし、施設の地域における位置づけや運営方針を綿密に考慮しないと、安易な経費削減、収益優先の管理者が指定され、住民と施設の距離が乖離してしまう。そこまで、某自治体は考えているのかわからないが、おそらく、効率化優先の管理者選定がここでも進むと思う。悲しいね、全く。
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by stoneroses8010 | 2005-12-17 23:41 | arts全般
2005年 12月 11日

写真新世紀と杉本博司展

横浜トリエンナーレの現場を後にして、東京に向かう。目的地は東京都写真美術館。ここでは、キャノンによる写真家を志す若手による公募企画「写真新世紀」の優秀作と佳作が展示されている。

全体的な感想を述べると、作品は3つに大別される。日常の生活や経験を端緒にする自分自身の内面化、社会派にも似た記録、ドキュメンタリ。家族をテーマにしたものからナン・ゴールディン風の私写真。
自己の主張がなんだか強く、こうだという独裁的コミュニケーションを押し込むギラギラした感じがあった。トリエンナーレで、なんとか観てる人と作り手のミゾを埋めようする感覚の共有の姿勢を感じただけに余計にそう思った。写真の主流がそうなっていくとすれば、一時代前の現代美術のあり方を見ているようで少し写真の限界を感じてしまう。が、Wolfgan Tillmansnのような写真家もいるので、そう未来は暗くない。
私は観る人に委ねる開放感と寛容さ、そして自分の視点を共有する他者との関係性を表現とすることに今、関心がある。どうやっていけばいいのだろうか。答えはまだない。
川村素代氏ととくたはじめ氏の作品に好感が持てた。観ている人が入り込む余地のある表現。

3Fの展示会場を下って、2Fの会場でやっていた横須賀功光の写真魔術「光と鬼」と観る。光と影を匠に操った広告写真家である。ホワイトキューブの壁にプリントした作品を展示するのではなく、床に突き刺さった高さ1.5メートル、幅1メートルぐらいの壁がドミノ倒しのドミノのように室内に対角線上に並ぶ。それだけでなく、縦方向にも横方向にも壁はランダムに並び、上から見た室内は壁で幾何学模様のようになっていることが想起される。なかなか凝っている。

ミュージアムショップで、植田正治の写真集を買う。スペインなどを巡回した時の展示のものである。内容はかなり充実している。あとでわかったのだが、17日から彼の写真展を写美でやるらしい。これも観たいところ。

外に出るともう真っ暗である。時間は17時30分を過ぎている。しかしまだ、次がある。
六本木の森美術館に向かう。杉本博司展を観にいくためである。

観念の形と題された数理模型と機構モデル群の静物写真。杉本は18,19世紀の観測装置や実験器具にまだ見えてこない仮説に形を与えようとする意志を感じ、観念を形にしたものを撮影する。
「芸術と呼ばれる作業も近似値の提示」「見えないはずの世界を見えるようにするための」という彼の言葉はこの作品の製作意図として十分すぎるほど伝わる。

「肖像写真」では、肖像画家ホルバインが描いた絵を蝋人形師たちが風貌を再現し、杉本が描写された絵の光を研究し、写真という技術で記録したもの。
「生きているように見えるなら、あなたは生きているという意味を問い直さなければならない」というキャプションのとおり、単なるポートレート(静物?)を鑑賞する立場では見えてこないなにかがある。それは我々に常に思考することを促す。

「海景」という世界の海をモノクロで取り続けるこのシリーズは、今回の展示のなかでもっとも気に入っている。
この作品のアプローチの発端は「原始人の見ていた風景を現代人も同じように見ることは可能か」という杉本の自問である。時代によって地表は変化してしまい不可能性があるので海なら見れるのではないかという仮説からはじまる。
水平線と海。ただそれだけ。しかし、それ以上に何が必要だろう。海の表情は多分に異なり、飽きさせないが、それよりも、先ほどの自問に対する杉本の一つの可視化された仮説の提示が、時間、歴史、見るということとは何かを考えさせる。

「劇場」のシリーズは杉本の作品でかなり有名な部類に属する。
またしても、杉本の自問自答により始められた実験である。2時間という映画の上位時間の間にシャッターを開きっぱなしにするというもの。
スクリーンは真っ白になり、その光が、劇場のディテールを照らす。映画が上映されるということがこんなに美しい現象なのかと思う。違った見方をすれば、映画というスクリーンのなかで起るフィクションは実はなにもなく、その周りにあるものだけが本当に実在するものであるとも言っているかのようでもある。

これらは杉本の写真による表現というよりも、彼の思想や仮説を可視化させる実験といってもいい。そこにはデュシャンの思想や三十三間堂千手観音の観念といったものに対する畏敬の念も込められている。
彼はそれらを通じて、考え、写真という技術で実践し、そのことの意味を問いかける。答えはこうだという一方的なものではなく、我々もその場に立ち止まって考えてみてはどうかと促す。
我々は試されている、思考することを。彼は求めている、さらなる思考の深化を。
彼の写真に対する姿勢はものすごく興味深い。

彼の写真集は、哲学書に近い。
¥6,000という安さだったので、迷わず購入。装丁も気に入っている。

気づくと20時すぎ、新幹線の時間が近づいてきているので、やむなく撤退。
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by stoneroses8010 | 2005-12-11 20:16 | arts全般