確証はない。それを信じるしかない。

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2006年 02月 25日

観て損はないと言っておこう 「ホテル・ルワンダ」

「ホテル・ルワンダ」を観た。

映画を観て、2回ほど悔し涙が出そうになった。

1994年、ルワンダで民族間の諍いが大虐殺に発展し、100日で100万人が殺された。その惨劇の最中に、ひとりのホテル副支配人が1200人の命を智恵と勇気で救う現実に起きた話を映画化したものである。

「人はその映像を見て、『怖いね』といって、ディナーを続けるだけさ」
劇中、ジャーナリストのジャック・ダグリッシュが語った言葉だ。彼は、ジェノサイドが軍の統制下によってのみ取材できない現状では、本当に起っていることを捉えることができないと思い、独断で、滞在ホテルより1キロ先まで車を走らせ、取材をする。テープに収めたその様子は、まさに地獄絵図だった。
湾岸戦争にしろ、イラク戦争にしろ、我々がタイムリーで知りえることは制限されており、また、知りえたとしてもそれには伝えようとするメディアのフィルターと、現地のルールが混ざりこんでいる。そこには、固有名詞ぐらいしか正確な情報はない。ジャーナリズムの虚偽性は今に始まったことではない。しかし、この言葉にはそれだけでなく、敢えて虚偽とわかっていても、だまされることで保持される受け手の逃げ場所を求める行動が見え隠れする。事実を伝えられない、そして、事実として受け止められない歪な構図がこれからも続く。

ジェノサイドが始まった後、平和維持軍では事態が収拾できないため、多国籍の介入軍が現地に入る。しかし、彼らのとった行動は、現地の自国民の救出のみでジェノサイドには不干渉の立場をとる。理由はただ一つ「利益がないから」
私は、アメリカはそこに利益があるから戦争に関与すると主張するN.チョムスキーの主張を思い出した。昔からそうであるが、戦争、紛争は損得勘定で始まり、収拾もその天秤にかけられる。「人の命は平等」というヒューマニズムはいとも簡単に消し飛び、国家間の強者の駆け引きが展開される。
介入軍が現地の外国人を救出し、バスに連れ込む一方で、それを見送らざる得ない明日をも知れぬ命の現地人たちの立ちすくむ姿。このシーンに現実が凝縮しているような気がした。

ジェノサイドは、第一次大戦後、ベルギーによる統治政策の一環としての人種分離と一方への差別思想の叩き込みという歴史的経緯が引き金の一つとなっている。その歴史的経緯をよりどころとして、一方の民族はジェノサイドを仕掛ける。
(正確には、「民族」としての区別はないと専門家はいう。また、ここでは、民族の呼称は差別を連想させるものとして現在では公式に使われていないため表記しない。)
ここでは、自らの利得のために歴史的経緯を借りて、理論武装をはかり、人々を狂乱させた上、人命を奪うという行為が起きている。非常事態時には歴史、文化、音楽、美術でさえも、捻じ曲げられ道具になってしまう。

劇中にルワンダの将軍はホテルの副支配人に言う。「おれがおまえを助ける見返りはなんだ」
国家の軍隊とは、基本的に国民を守るための軍隊であると私は思っている。しかし、そのルールでさえも瓦解する事態になったとき、果たして、このセリフが現代的でないと思えるのかどうかは疑わしい。というのも、その基本的なルールは平時という統制された状況下によって作られているからだ。ルールの形成は、そのルールを設けたほうがお互い得ですねというある種の契約行為から成り立っている。もし、天地が変えるような限界状態に達した時、そのルールを覆す損得勘定が発生した時、軍や警察というのは本来の使命を果たすことが出来るのか。

登場する国連平和維持軍は、自衛以外のための武器使用はできないため、民兵が襲い掛からんとする時にも、なかなか発砲できない状況にあるシーンが何度かあった。だったら、国連平和維持軍とは一体何なのか。調べてみたら、やはり、五大国の損得勘定から止む無く生まれた苦肉の構想と思える。

観終わった後、何組かのカップルがいた。
この後もデートを続け、「怖かったね」といい、ディナーを食べる。
非難する気は毛頭ない。無力であることは私も同じ。

ただ、今の我々の生活も、平常時の損得勘定の上で成り立っている暫定的な安定の上でのものでしかない。時代は変わる。そして残酷で脆い。それは知っておく必要のあるこの世の仕組み。
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by stoneroses8010 | 2006-02-25 12:36 | 映画
2006年 02月 24日

JVCC「全国ボランティアコーディネイター研究集会」

JVCC「全国ボランティアコーディネイター研究集会」なるものに参加する。研究の足しのため。

長いよ。
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by stoneroses8010 | 2006-02-24 20:24 | マスターへの道
2006年 02月 24日

手に入れておきたい写真集

手に入れておきたい写真集。

"Uncommon Places:The Complete Works " Stephane Shore
"Friedlander" Lee Friedlander
"Andreas Gursky Photographs from 1984 to Present" Andreas Gursky
"Thomas Struth:1977‐2002"  Thomas Struth
"Nudes" Thomas Ruff
"Politics of Bacteria Docile Bodies" Lewis Baltz
"Safety in Numbers"Nick Waplington

Joel Meyerowitzrの"Wild Flower "はもう手に入らないのか。
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by stoneroses8010 | 2006-02-24 04:23 | 我思ふ
2006年 02月 21日

reality?06

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by stoneroses8010 | 2006-02-21 02:29 | photo
2006年 02月 19日

センシビリア-所蔵品によるある試み-

滋賀県立近代美術館で「センシビリア-所蔵品によるある試み-」を観る。
近代美術館所蔵品の現代美術コレクション7品を「ソフトパッド」という映像、サウンドを操るアーティストユニットが2つのスペースに分かれた展示空間で、一方では所蔵品の展示構成を手がけ、もう一方ではその所蔵品を映像に収め、サウンドとともに一面の壁に映し出すもの。

とにかく、人が多いのが気になった。私が入った時は、ギャラリートークなどの最中(かなり流暢な説明でびっくりした。職員か?)で、人の話し声がひっきりなし。そのスペースは、アメリカ現代美術の所蔵品7品を真っ暗な空間の中で、一つずつプログラムされた時間、順番で、映し出すというものだった。サウンドもあったようだが、人の雑音交じりでよく聞き取れない。

人が多いのは、今日、アーティストトークがあるせいだ。時間になったので講堂に向かう。
最初はソフトパッドがどういった仕事をしてきたか、どういった経緯で今に至ったかについての説明過去の作品の紹介とともに続く。
最初に音楽があって、後に素材としての映像をミックスさせるメソドロジー。映像素材となるものは、常に撮り溜めして、いざ映像を発表する時は、その特定の場所にある音にあわせ映像を構成するという。
作家の作品を解釈して自らの映像作品に変換する手法は、作品から生じる一つの表現部位を汲み取り、そこから映像とサウンドに発展させるものであるらしい。
たとえば、ある作家の表現の一部に「にじみ」に焦点をあて、それを画像としてキャプチャし、サウンドをつけ再構成するというもの。

また、それぞれのワークには、テーマがあり、「重力と速度」「スケールと視線」など、私のアンテナに引っかかるものがいくつかあった。というのも、私は、最近、写真というものが、どういった要素で、観ている人間に感覚的な反応や認識を呼び起こすのかということに非常に興味があったからだ。

「センシビリア」(感情によって認識できるものという定義)では、照明を使って見せるということが念頭にあったらしく、それなら平面作品よりも彫刻ということになり、「立体作品が生み出す磁場(空間性)を照明によって、生かそう」という試みだったとのこと。
「センシビリア」以前は、インタープリターとしての彼らの表現が、ここでは、まず「照明ありき」の考えに移行していたことに、なんだか違和感を持った。本当はインタープリターとしての「ワーク」が今回展開されているのではと期待していたため、来館したのだが。

作品のセレクトから展示構成まで彼らが試み、その方法やスペースの難点を話していたが、話が専門的でよくわからない。ただ、ドナルド・ジャットは自らの作品を検討するためにいったん写真として残していたという歴史的経緯を踏まえ、彼らも作品の違った側面を見出すために、いったん写真に落とし込み、検討を重ねたという作家が見ていただろう視覚体験を試みようとした点は感心するところもある。それが上手く言ったかどうかは別として。

「センシビリア」とは?という説明は、今回の展覧会を担当している山本淳夫氏の文章がわかりやすい。(以下引用)
「センシビリア」は、しばしば、「センスデータ(感覚与件)」と対で用いられる。「センスデータ」は、実際にかんかくさら、我々の意識に立ち現れるものであり、言語によって分節化される以前の直積的な経験〈色、かたち、音など〉をさす。他方、「センシビリア」とは、もしそこに感覚器官があれば感覚されたはずのもの、とされる。要するに、人間なら人間の意識に捉えられ「センスデータ」となり得る可能体、それが「センシビリア」というわけだ。
(中略)未だ感覚されざる可能体をも射程に入れること。「センシビリア」とは、世界の背後に向き合おうという決意表明に他ならない。

私が(他の人にもあるだろうが)、写真を撮る時、感覚だけではそれを写真として撮ったことが説明できない部分がある。それを(以前友人とも話したことがあるのだが)「実際は、目でみて感覚的にシャッターを切ったのだが、そこには目で見えない『何か』も見えていた」という。
「センスデータ」が五感によって経験し意識化されたものが守備範囲であるならば(私はイメージストックと呼びたいが)、「センシビリア」はこの感覚をよぶ源泉ともいえる『何か』と呼ばれるものを守備範囲にしたものだと思う。
途方もない仮設だが、私はこの『何か』とは、感覚のようなあいまいなものでなく、その人間の歴史的文化的経緯から生まれた観念や思想に近いものがあるのではと、今は思っている。
個人の長時間をかけて熟成された個人の歴史的な「うねり」が「センスデータ」を作動させる方向性を決め、言語としてアウトプットさせるのである。感覚の源泉であるその『何か』とは、個人をその取り巻く環境や時代、人がセットになった集合体の流れによって変化していくような気もする。

トークのあと、もう一度展示室に戻って展示を観る。さらに人が多くなって、ざわついているような気がする。映像スペースよりも立体展示の照明による構成のほうが好感は持てた。あれはもう一度観たいなぁ。
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by stoneroses8010 | 2006-02-19 22:39 | arts全般
2006年 02月 18日

どんな音楽を聴いていますか。

昼。片道1時間半かけて、先日「印鑑なし」のために受理されなかった修論仮題目を提出しに行く。メール、郵送不可で本人が直接に提出しなければならないというシロモノ。なぜ不可なのか、なぜ印鑑なのか理由が全く私には理解できない。

その後、街に繰り出し2時間ほど写真を撮る。
途中apple storeに寄る。今度発売のMac Book Proの説明を受ける。Intel搭載でメモリが1G、ハードが100G。重さをもう少しなんとかしてほしいところ。

c0017549_0293583.jpg夜、よく行く店で大学時代の先輩達と飲む。そこでカメラを落としてしまい、ボディが少し欠けてしまいショックを受ける。
誕生日が近いというと、見た目はお好み焼きの形をしたケーキを出してくれる。誕生日とケーキがセットになる状況はもう十年以上なかった経験だった。
店の人とお互いどんな音楽を聴いているか、聴いてきたかを話す。こんな曲いいですよと名前の知らないバンドを教えてもらったり。
人がどんな音楽を好んで聴いているかは常に興味がある。その人がどういった文化に触れてきたかという想像が膨らむからだ。
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by stoneroses8010 | 2006-02-18 23:17 | その他
2006年 02月 18日

フィルターを駆使して1枚の写真ができるまで

わからん!
何度読んでも理解できません。誰か私に説明してください。

フィルターを駆使して1枚の写真ができるまで

まず、1の工程の文章の意味がわからん。フィルターは3つ使っているのか?だが〈フィルターは標準NO.2)とか書いているし。
「2.7秒を0.9秒×3に分割」
一枚に分割露光するのはわかるが、それぞれ別のフィルターで試すのか。それとも、0.9秒ごとにフィルターを差し替えるのか。

一枚の写真にフィルター差し替えながら焼くなんてあまりしないんです、私。
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by stoneroses8010 | 2006-02-18 02:46 | photo
2006年 02月 15日

デジタルである理由

私がBlogで掲載している写真の多くは、ビジュアルから入ったものが多い。これにコンセプトを練りこんで、一つの表現として作品化することが、杉本博司のいう「ヴィジュアライゼーション」に近似のものであると思う。

しかし。私のBlogで掲載している写真はビジュアル止まりである。単一の作品としてもコンセプトが十分であると思っていない。私が気になるところは、これが一眼レフデジカメで撮られているということである。デジタル技術を否定するつもりは毛頭ない。そういった技術は80年代より作品として使用されている。Jeff Wallなんかは現代美術志向でもあるから積極的に使っている。現在のドイツ写真もその傾向がある。

私が言いたいのは、「なぜデジタルを表現する上で使うのか」ということの説明がなく、デジタルが使われることに対する疑問である。そこをこれからはもう少し考え、訴えていく必要があるかと。もちろん第一戦で活躍する人はそのへんを弁えている。小林のりおなんかがそう。

デジカメは手軽である、紙、ディスプレイとあらゆる媒体にも転用しやすい。低コストでもある。しかし、これは理由にならない。
私のBlogで掲載されている写真はそれに答えていない。よって私の基準では表現として認めるわけにはいかない。自分で自分を批判するのもどうかと思うが。
しかし、最近は、それを(反省し)回避するためのデジタルを使う理由というのを徐々にだが写真に含ませている。いわゆる実験でもある。もう少し試行錯誤が必要かも。

なんだか、愚痴っぽくなってしまった。
というのも、富士フィルムがカラー、モノクロフィルム等の値上げに踏み切ったこともその原因にある。富士はその理由を、デジタル化による需要の低下や原材料の高騰という状況のなかで、今までの品質を維持して供給するために必要なことであると説明している。コニカミノルタが、カメラ事業から全面撤退してしまったことで、国内フィルムは富士とコダックが主流を占めることになる(元々そうであるという話もあるが)。真偽は別として富士はこれからもフィルム文化を死守すると企業をあげて訴えているから、それに乗っかってもよかろうかとも思う。
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by stoneroses8010 | 2006-02-15 23:50 | 我思ふ
2006年 02月 13日

reality?05

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均質に収束する
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by stoneroses8010 | 2006-02-13 00:02 | photo
2006年 02月 12日

「アートはみんなのもの」

草津の滋賀県立草津文化芸術会館で催されている「アートはみんなのもの」を観に行く。
大学の助教授の方がコーディネイトされている事業で、研究の足しになるかもと思ったため。

25ほどの文化ホール、ミュージアムの活動内容の紹介ブースが、小学校の教室2つ分ほどのスペースに壁づたいに埋まる。活動内容の紹介のほか、簡単な体験プログラムが用意されている。その中央部分には、4つに区切られたスペースがあり、WSが催されている。
様々なブースで話を聴いたが、印象に残ったのは伊吹山文化資料館。
(ミュージアム系の活況をよそにホール系の閑散とした雰囲気が対照的だった。なぜ?)

米原市(旧伊吹町)の伊吹山文化資料館のブースで、ボランティアをしている40代、60代(推定)の女性と話し込んだ。両者とも割烹着らしきものを纏っている。
そのブースには、資料のほかに、昔のくらし体験と題して、石臼で豆を引き、きな粉を作る作業や、綿を伸ばす木製の小型の用具があって(なんという民具か忘れてしまった)体験できるようになっている。

さて、話によると、
「地元の民具を収集して展示している。ボランティア(もらった資料で「友の会」となっていた)は土日を中心として施設にやってくる人や学校の体験学習をしている。地元の住民が(講師となって)教える場合もある」とか。
また、民具を使っての体験活動は後で、食べられるものが多いという。体験活動を通じて食べることでおいしかったこととかは忘れないものとおっしゃっていたのは印象的だった。

ブースの後ろの掲示板にクワガタの飼育のプログラムの張り紙があったので、資料館にクワガタのプログラムの飼育?と思い、なぜか聴いてみた。
なんでも、地元でクワガタの飼育に詳しい方がいらっしゃってその方が教えているとのこと。そのプログラムを通じて、「生」ということを見つめなおすことの狙いがあるという。
後ろのテレビに流れている映像。火鉢に小学生が4人ほどで囲んで、ボランティアが一人ついて、かきもちをやいている
60代の女性ボランティアの方は「こういった民具をつかっての活動で、昔は火鉢を囲んで、家族皆で生活の話をよくしたものです。(こういった活動でわかることは)今のコはなかなか箸もうまく使えない。」という。
また、「(民具をつかっての)食べ物のプログラムをよくやっている。最初はそばガラなどを使っていたが、やはり、(民具を使って)調理した後で、すぐ食べられるものでなくてはということで、きな粉とかやっている。資料館はよく食べ物のにおいがします。」とのこと。

資料館と言うカテゴリにはまらず、ボランティアのメンバーや周辺住民の技能によって、施設のプログラムが多様化していく自己生成的な展開を感じる。資料によるとクワガタ飼育の事業や化石のレプリカをつくる事業も周辺の住民の講師によるものであるようだ(資料では県外出身者の方のようだが。)また、ボランティアの方自身が事業の講師になることもあることから、体験学習を通じて、ボランティアの技能が深まることで今後の事業のパターンが増えていくことが示唆される。
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by stoneroses8010 | 2006-02-12 23:41 | arts全般