確証はない。それを信じるしかない。

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2007年 07月 16日

飲 写

金曜日。早く切り上げて、数少ない気の許せる仕事関連の友人と飲みに行く。
飲みの席では、大人数で一つの話題を皆で話すよりも、サシ飲みに近い人数で、腹割って話す方が面白い。前者には前者のなんとも言えん面白さがあるが。
旅行の話、(台湾で私が味わった経験を友人もしてきたとか!すげぇ)シゴトの話、人生観などなど。

土曜。
月曜にmioに搬入するための写真を工房から引き上げる。雨が強いが今日しかない。
家に帰って、提出が近いレポートを2,3時間こなし、日曜に写真のクラスにもっていく途中経過をプリントする。その後、mioに提出する書類を作成。気がつくと日付が変わっている。
人に会って話したわけでもないのに、バタバタして、酷く疲れた。

日曜。
写真のクラスへ。
午前中は、QE45のWS。モノクロームの大型引き延ばし機のレクチャ。
私は自宅で、69のフォーマットで小全紙までプリントできる状態ではあるので、とくに目新しいことはなし。ただQE45の使い方が理解できたのは、よかった。
ああいうの見ているとモノクロででかく引き延ばしたくなる。ケンナ風の写真で。

午後は、グループ展の打ち合わせと作成の途中経過を講師に報告。
「君の考えややろうとしていることは、面白いけど、これでは伝わらない」といわれる。
半分そうかもなと今のシリーズでは思っていたのだが、3ヶ月近くやってきたことが、ほぼ無に帰した状態なので、すこし放心。が、その後、講師と今後の対策をディスカッション。まあ、やることはなんとなく見えた。
クラスの友人と話。彼や写真やら映像やら音楽やら非常に造詣が深く、話を聴くのが面白い。大学の後輩にもそういうタイプがいたけど、引き出しが多いなぁと感心する。
イメージの話をする。彼は事前のイメージは信用しないと言う。出来上がりを受け入れ自分でも想像しない結果を受け入れるということだ。確かにそのほうが、自分のイメージをさらに超えることができるのかもと思えた。
神戸ビエンナーレってどうなの?という話。
写真のコンペもあるけど、コンテナのなかに展示で、一人80cm四方以下のスペースって、ちょっと、そりゃないよと思う。

クラスメートと飲み。駅前第3ビルにガクトのおばと自称する占い師がいるらしい。
おもしろ。でも、みんなよく男女問わず占い行ってるんだなぁと思った。
楽しく飲む。

月曜。
朝早くからおきて、mioへもって行く書類の作成の続きと、レイアウトを考える。
と、ここで、トラブル。今回注文したパネルと事前に用意したパネルの寸法が微妙に合わない。レイアウトを思案し、点数をセレクトし直す。かなり苦心した。
午後から、mioへ。雨も降り出す。ブックでの持ち込みが多い様子。私はもういつでも展示OKの状態で搬入。
帰って、レポートの続きを完成させる。
そして、ここでようやく家事全般に取り掛かる。もう日が暮れかけている。
河瀬直美の「殯の森」が観たい。
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by stoneroses8010 | 2007-07-16 23:11 | photo
2007年 07月 09日

関東 図鑑に載ってない虫 ボルダンスキー

今のシゴトは、システムの構築とリカバリ。それしかやってない。あと、自分の職分を理解していない輩のお守り。(毒舌?)
金曜日。かなり抜き差しなら無いトラブルが発生(もし起こっていたらと思うと恐ろしい)。
水際で起こりえないこと判明。久々に肝冷やした。

土曜から日曜は撮影のため、関東へ。
土曜は横浜から川崎をまわる。事前に決めていた横浜のとある場所は、バスで30分揺られるにもかかわらず、予想以上に悪いロケーションだった。あまり撮らず、帰りのバスが来るまで、しばし考え事。
川崎は、まあまあのロケーション。ただ、今回のテーマとはあまり合致しない。並行している別のテーマとなら合うかもと思い、淡々と撮る。
私の場合、このときどう思うなど、情感を込めることはほとんどない。淡々とシンプルに事を済ませるタイプ。ただ、丁寧にできない。丁寧にやることが重要と思う。どうやればいいのか。
ホンマタカシは作家性を抑制すればするほど、多角的に見えてくると言った。今は、本当にそうだと思う。
撮って、セレクトして、どう見せるか、そのコミュニケートする姿勢が、写真での表現と思う。
夜は、川崎で「図鑑に載ってない虫」を観る。
「時効警察」の三木聡が原作、監督、脚本のもの。ドラマが好きだったので、観ることにした。「時効」の雰囲気が好きだったから、まだ観れたけど、合わない人、もしくは理解できない人は、つまらんだろうなと思う。共感できる私でさえ、「もういいから」と思った。

日曜。
午前は、横浜のとある場所へ。ここも見当違いだった。急いでバスに乗り込んで、桜木町へ戻る。BANKART1929で、ボルダンスキーによる日仏現代美術交流展をやっていたので観る。NYKのほうでは、伊藤存やら、田中功起が展示をやっていたが、そっちのほうまでは時間の都合で観れなかった。Bankart1929のB1Fで展示されていたボルダンスキーの映像作品がよかった。
何十年に及ぶ9月6日(ボルダンスキーの生誕日)の出来事の映像をつなぎ合わせ、それをものすごいスピードで流す。部屋の中央にはボタンがあり、観ている人はそのボタンで映像をとめることができる。で、またボタンを押すと映像が流れ、ボタンを押すとまた違った映像で止まる。
止められた一つ一つが9月6日の出来事。止められた映像のそれぞれは同一人物の手によっても、二度と同期することのない(したとしても途方も無い確率)ビジュアル群。流れる映像は、匿名性があり、なんでもないのに、ボタンを押すたびに自分のなかにだけ蓄積する感情はなんなのか。ボタンを押すたびに一つ一つのビジョンが特別な性質を帯びてくるような感覚。

千葉へ。ここはよかった。天気も晴れていて助かった。ただ、横浜から千葉の移動は長かった。そしてあまりに暑かった。
帰りに浦安に寄って、ホンマタカシが「TOKYO SUBURBIA」で撮った場所に赴く。「TOKYO」自身は1999年の作品なのだが、この変貌ぶりは一体何なのか。浦安は高層マンションの建築ラッシュで、まさに優雅な「郊外」を突き進んでいる。面白い場所。
ギリギリで新幹線に滑り込む。1本後の「のぞみ」が人身事故を起こしたようだった。

月曜。
午前中は、生活の原状回復。午後からは写真のクラスで、プロセッサを使って、一人カラープリントを堪能。堪能といっても、カラーコントロールが恐ろしくうまくいかない。
その後、工房に頼んでいたプリントの仕上がりを確認。カラープリントについていろいろ話す。自分の色を持つことが出来れば、こういった場所への注文もしやすい。イメージはすでにできている。あとはどうすればそこに到達できるか。
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by stoneroses8010 | 2007-07-09 23:14 | arts全般
2007年 07月 01日

レクチャ(やなぎさん)

やなぎみわさんのレクチャを写真のクラスで聴く。
なんというか、自分の作品についての解説が主だったのだが、考えたことや感じていること、そのプロセス、思想など、奥深くまで語ってくださったのだが、非常にわかりやすく、理路整然としていた。かといって、インテリぶったところがまったくなく気さくな方。今まで出会ったことのない雰囲気だったので、なんだか圧倒された。(どっかの写真評論家とはえらいちがい)

面白かった話を数点。
○大変コンセプトがしっかりしているので、製作のとっかかりは思考やコトバによる作業かなと思っていたら、コンセプトができていて、それをいくらコトバでしっかり説明できたとしても、それはそのコトバの範疇にあって、コトバを越えない。だから、考えたとしても、それをビジュアライズさせることが重要とのこと。
○思考的なものを表すのは、美術では困難。思考的なもので分析や語りを入れるなら社会学や哲学の領域に近い。美術はそれよりももっと身体的で感覚的。要は思考と身体(感覚)のバランスが求められる。
○個人的な吐露(これをやなぎさんは「分泌液」と例えていた。うまい!)は作品にはあまり意味が無い。そういった内面よりも、人に見せるのだから、コミュニケートすることを念頭に入れた上で作品をつくる必要がある。
○(それと関連して)やなぎさんは、神戸の美大で准教授をされているが、そのクラスで、まずはじめに、演劇をするらしい。二人一組になって、三谷幸喜の「笑いの大学」をさせるのだそうだ。なぜ、美大で美術作家が?と思うだろうが、これには意味があって、美術はコミュニケーションだから、まず他人の価値を知らなければならない。そのために組ませて演劇させるという。「他人の価値」は、自分の作品に対してのモノの新たな見方を提示したり、理解者となったりときには裏切り者となったりする。個人でやれる範囲は知れているわけで、他人を自分の創造に組み込むことも一つのやり方というのだ。これは、やなぎさん自身のこれまでの経験に基づいているものでもある。

演劇の効用はわからないけど、確かに、個人的吐露やら自分の情感がさも特別のような作品がとかく日本は多い。それって、10ある手段のうちの1でしかないのに、そういったオーソリティがいまだに絶大だから、継続的に浸透している。それを変えようとは思わんのかいな。
○いつも思いついては、消えていくアイディア群を「フラッシュアイディア」(これいいな)と言っていた。その「フラッシュアイディア」をビジュアル化して、作品にしていく選定過程はどういったものか。その点についてやなぎさんは、残っていくのは自分にとって必要なものが自然に残っていくと自身の経験を語っておられた。もうこれは人それぞれとしかいいようないのかも。面白い方法として、多額に資金をつぎ込めば、その作品を成立させることが必然となると冗談交じりで話していたが、それもありだろう。
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by stoneroses8010 | 2007-07-01 23:19 | photo