確証はない。それを信じるしかない。

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2007年 11月 29日

space for your future  野口理佳 ホンマタカシ ポートフォリオ

23日
早めに起床して家を飛び出す。
自分がどうもどこでもない中性的な風景に惹かれているようなので、ずっとそのことを考えながら車を運転する。どこかということを判別できないということは、つきつめれば何もない風景となる。それに行き着いたとき、何もないものが撮りたくなってきた。
明日からのことがあるので、早めに切り上げようとしたが、結局夕方前に家に帰ることになった。その後は、雑事を済まして早めに就寝。

24日。今日から関東へ。
まずは東京都現代美術館へ。「space for your future」を観る。現代美へは深川の商店街を歩く。あいている店はちらほら。ただ、日経の「5つ星の美術館」では、地域との連携に現代美は重点を置いているらしい。これからが期待というところか。
で、展示ですが、かなりよかった。今年度ベスト3に入るかもしれない。

足立喜一朗の「一人用ディスコ」が秀逸だった。電話ボックスにマジックミラーを張り巡らせ、なかにはミラーボールを吊り下げ、ヘッドホンからテクノを聞くことができる。なかからは外は見えないが、外からは丸見え。中では自分しか見えないため、音楽を聴くとなににも見られていないような開放感があり、カラダが動き出す。しかし、実際は外から丸見え。これがかなり滑稽で、人が入っているのを見るのも、自分が中に入って体験することも面白い。実際に街中で使った映像も流れおり、それを見るだけでも面白い。

エルネスト・ネトの「フィト・ヒューマノイド」。ずっと体験したいと思っていた。実際に使ってみると、なんだろう、リクライニングできることは間違いないが、それで方々に歩いていけるということもあって、奇妙な一体感がある。あー、夏に無理してでも丸亀にいけばよかった。
写真では蜷川実花とタナカノリユキがあったけど、内容云々よりも仕上げやら展示、大きさ、写真と写真の「間合い」などに目が行ってしまう。

石上純也の「四角いふうせん」は今回の目玉かもしれない。かなり目立っていた。私が観たときは、取り付け金具が外され宙を漂っていた。

ショーン・グラッドウェルの映像。とくにヴィデオカメラをマウントした自転車で町を疾走する目線の映像は、息遣いとスピード感、映っている映像がなにか特定しがたいものであり、非現実的な感覚になる。他にも2作品あったけど、どうも、この人、身体の突拍子もない状況(無重力で浮いているとか)に関心あるみたい。

オラファー・エリアソンの光のインスタレーションを初めてみたけど、ダイジェスト版をおかれたようでなんとも。ショップにおいてあったブックの写真が好み。この人、フォトワークにかなりセンスあると思うんだけどなぁ。(MOMAもその辺、評価してるみたいだったし)

複数のディレクターによる作家選定とキュレーションで、日本の若手作家を中心とした森美術館の六本木クロッシングとは、赴きが異なり、どちらかというと海外作家も出展しているこちらのほうが楽しめた。タイトルに掲げているテーマや館全体の企画に対するメッセージがより伝わりやすかったというのもある。
欲を言えば、映像関連は座ってしっかり見たいというのがあって、椅子が少なかったので立ってみることがつらく、流し見してしまうことが多かった。まあ、それでも食らいつくような作品は本当に自分が面白いと思っているだろうけど。
東泉一郎Tシャツを悩んだ末に買う。

帰りに予定通りの時間で銀座のギャラリー小柳へで野口里佳さんの個展を観る。この新作は実は、以前野口里佳のレクチャをビデオで観たときに(レクチャ自体は2005年にあったのだが)、紹介されていた。
その後、あらかじめ調べておいた場所でさくっと撮る。思った以上に歩いた。距離が予想以上にあったのでバスを使う羽目になった。
いきなり足が痛くなる。

25日
車を借りて、千葉方面へ。なかなか調べておいた場所にたどり着かない。迷いに迷って、歩きに歩いて、人に聴いてもわからないので、もう帰ろうかと思ったときにようやく見つける。にもかかわらずいまいち。夜にもう一度来ようと思って、東京にいったん戻る。適当に撮って、走って、ラジオを聴いて。かなり集中力が散漫になっていたせいか、夜の撮りではミス続出。無駄にフィルムを使った。上手いこといってればいいんだけども。たいした感触がないもかかわらず、時間、体力をよく使った。
この時点で手足が悲鳴をあげつつある。

26日
三脚から開放される日。午前中から、おととい現地で下調べしておいた場所を撮り歩く。ここでも歩きに歩く。
午後からは、ポートフォリオ用のファイルを扱っている会社へ。郵送でも買うことができるんだけど、実際にモノを見ておきたかったので。マンションの一室に展示品を納めているところがあって、そこで、会社の人と談。これはこの点がいい、悪い、こういった問い合わせがあったなど、話が明瞭で面白い。ある程度吟味して、以前から買おうと思っていたものをその場で買うことにした。行って正解。

表参道が近かったので、新しいギャラリーのホワイトキューブトーキョーへ。ホンマタカシさんが写真展をオープニングでやっているからだ。出展数が少なく、展示としてどうなの?という感じだったけど、イントロダクション的なところだったのだろう。コンセプトは、私は理解できるし、撮っているものも面白いと思った。「アーキテクト・ランドスケープ」と題され、ル・コルビュジェなどの建築物とその周辺を取り巻く環境、その建物からの眺めなどを同時的に見せるもの。スペクタクルも計算されている。カタログがさっぱりなのに2000円という高額。でも買ってしまう。
同じ建物内に、MOMAのデザインショップが隣接していた。日本にこんなのがあったんだと、あれやこれや触って楽しむ。
まだ帰りの時間には早かったけど、もう足が動かない状態だったで、おまけに寒くなってきたので、駅で待機することにする。

東京駅のスタバで一息。買ったカタログやらぼーっと見ていると、隣の席で5人ぐらいがほとんどレクチャに近いような「成功するにはどうするか」という議論なり戦略なりを本を平積みにして話していた。関心ない振りして聞き耳立てると、高齢者、主婦層、サラリーマンなどの最大の望みを各3つずつは把握しておくことみたいなレクチャが続く。マーケティング論にしてはチープな内容だったが、時間をつぶすにしてはなかなか楽しめた。人生を変える=成功。自分に見合った評価がされていない、能力に見合った評価をされれば、「やりがい」などを信じて疑ってないらしく、この人たちは具体的にどうしたい、なりたいんだろうとずっと思っていた。

さらにぼーっとしながら帰路につく。新幹線のなかでは、飯沢耕太郎の「写真を愉しむ」という最新の新書を読んでいた。わかりやすかったけど、これ見て、写真を購入して集めようという気にはなれんなぁ。全体的に写真の享受層(撮るというだけでなく、読む、買うという面で。そういう意味ではリテラシーを高めるということなのか)を増やそうとした意図があるようだけど。

ホントによく歩いた。家に帰ると全身が痛み出したけど、いい疲労感ではあった
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by stoneroses8010 | 2007-11-29 23:25 | arts全般
2007年 11月 20日

レクチャ(金村さん)

写真のクラスで金村修さんのレクチャがあったので、参加。

10月にお知り合いの方のギャラリーのオープニングでもパーティとかで一緒で、その語り口になかなか面白みを感じていたのだが、ここではさらに爆発といった感じで楽しめた。
終始冗談めいたこととか切れ味鋭い批評とか、自分で問題提起してそれを自分なりの回答を踏まえつつまとめるという漫談にも似たようだが、話の内容はクリアである。
以下は、内容の雑記
○(以前、どこかのWebのインタビューにもあったように、)写真には全然わかってくれない人にわからせようとすることが肝心であり、身内やら友人やらを前提にしても意味はない
○ある程度決め事はする。それも「~はしない」っていうような。自由というのは手に余る。制約することで生まれるものもある。
(昔、学校で猫なんか撮ったら、謝るまで2時間ぐらいしかられた。今は撮っても何も言われない。いい世の中ですよね。とチクリ)
○僕の撮っているものを同じことの繰り返しという人がいる。しかし、繰り返しと反復は違う。反復は前進もしないけど、後退もしない。よってゴールに向かわないし定めない。ステップアップって必要なことですかね?ゴールって終わっちゃうことでしょ。目標を定め、コンセプトしっかりして、その通り進めてってわかるけど、それじゃそれだけになってしまう。効率にやることがいいわけじゃない。

○(写真を膨大に撮って失敗することについて)、僕なんかかなり非効率。けど失敗する写真を出して言ってもいい。商業カメラマンとかはそれが許されないけど、そうじゃないし。
○好きなものを撮っているかといえばそうじゃない。嫌悪するもの、違和感を持つものを撮ることで、一体化せず距離感が持てる。

などなど、終始、同意と思わせる意見続出で、全然飽きなかった。ここでは書きたくても書けないが、in-betweenのこぼれ話とか、某作家の話(勝ち組論、お金)、ありゃなんの影響もないんじゃないのという作家の話とか、もうスゴかった。

後半は、2人ほど作品を公開評論する機会があり、私のクラスメートも選ばれていた。けっこうシビアにいうも的確で、全体的な世界観の作り方がカギなんだなと再確認した。
(それも、いたずらのような悪意的であったり、一枚一枚で見せるだけでなく全体で語るような何か)

その後は金村さんも一緒に飲む。昨日は表参道のギャラリー展示のパーティで二日酔いと言っていたのに、さらに飲む。レクチャでは虚弱だとか、写真家はマッチョだが、僕はそうじゃないとか言っていたけど、タフなんだなぁと思う。

そのパーティで土曜に個展を観に行った友人と会い、終始話す。ちょっと、自分のタイミングじゃなく戸惑ったとのこと。いろいろあるんですねぇ、
お知り合いのギャラリストの方から早く写真見せろとせっつかれる。
自分のタイミングでポートフォリオを創っているけど、なんだかそうも言ってられなくなってきた。講師の人には、12月に飯沢さん来てくれるから、見せれるようにしといてと軽く言われるし。んー、無理かも~。
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by stoneroses8010 | 2007-11-20 00:33 | photo
2007年 11月 17日

シャガール キュレーター 個展

仕事もようやく落ち着きつつある。なんか中途半端な感じに背筋が気持ち悪い。
先々週はAD志望の友人と飲んでいて、現代美術はクロスディシプリン、クロスジャンルなキュレーションで観る人の意識を変革させるような、現代美術はちょっとわからないという人の認識を変えるような企画が多くなってきているけど、なんだか写真というジャンルはちょっとそれに取り残されつつあるのかななんて話をしていた。

平日は、ネガ整理やちょっとし企み進行中なのでその準備とはやめにアクセスを取らないとならない方への連絡などなど。なかなか調整つかずやきもきする。

昨日は、大学の友人らと飲んでいた。疲れているように見えるという指摘があったけど、本人は至って普通です。ただ、突き抜けない感じが歯がゆくて歯がゆくて。

今日は、奈良で友人が個展をやっているので、それを観に行く。
JRの事故のせいで片道2時間ぐらいかけた。
その友人の写真のカラーがとにかく好みで、70年代のニューカラー系の作家をいつも思い出す。ショアっぽいのかな。
その友人とはニアミスで会えず。残念。
近鉄奈良に出て、奈良県立美術館の「シャガール」展を観る。
ここでのキュレーションは、彼の「愛」。それは自分の恋人だけでなく、男と女が想い合うような、親が子を思いやるような一般的なものにまで及ぶ。
面白かったのは、バイオリン。このモチーフは、結婚や恋人同士が寄り添う時に、その脇の人間が必ず奏でているもので、それは祝福という意味合いもあるようだが、その後の人生の歩みにつなぐ意味合いもあるらしい。葬式でも奏でるものとして扱われるという。
だいたいが、中央に恋人、脇に演奏する人、ロバと、なんだかある人の走馬灯を目にしているような浮遊感漂う絵になっている。これを一つのカンバスに描き目に出来る同時性って意味のあることだと思う。

今月のBTはキュレーターに関して。即買い。でもこれ見て、キュレーターと日本の美術館学芸員を混同する人がいたら困るし、日本の学芸員もキュレータのようにかくあるべしだとか、海外の美術館のようにレジストラ、エデュケータのように分業あるべしという風潮になったら、やだな。
琵琶湖博物館の布谷知夫さんが著書で言っているように、学芸員が収集し研究して、モノに接し、その酸いも甘いも噛み分けて、税金払っている市民に学ぶ機会を与えようとすることが、より深く「学び」に寄与できると思われるからだ。
(いやいや、いいものコレクションして、それを見せることが出来ればいいじゃないかという意見があるかもしれないが、それは今の日本の美術館、博物館の体力では続きません。より、持続的に観る人と活動が展開できるかが運営のカギだと思う。)
ちょっと横道に反れたけど、取り扱っている内容はボリュームあって確かに面白い。東京現代美術館の長谷川さんのインタビューも読み応えあり。(とくに、ジェームスタレルの皮膚も色彩を識別できる話はうなづかされる)
NHKの「プロフェッショナル」でも12月放送で取り扱われるらしい。観なければ。
今、その東京都現代美術館でやっている展覧会「space for your furture」も長谷川さんの手によるもので、アートのクロスディシプリンとスペースがテーマとなっている。
森美術館の「六本木クロッシング」も観たので、それに合わせて、これも観なければと想い来週東京に行くことにした。無論、撮影メインなんだけど。

そろそろ展示の構成を考えねばならなくなってきた。この展示は通過点。来年はもっと打って出る(つもり)。
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by stoneroses8010 | 2007-11-17 23:50 | arts全般
2007年 11月 04日

犯さん哉 ルイス・ボルツ

今週末の金曜。淡路島で園芸の勉強をしている友人が再び仕事場に訪問してくれた。
本当に律儀なヤツである。仕事をすぐ切り上げて、いったん自宅に戻り、友人と先輩と待ち合わせて、カフェで談。その友人の後輩も仕事をやめて、同じ学校で園芸をやるために淡路島へ渡るそうだ。ブームなのか、淡路島。

土曜は友人と観劇「犯さん哉」作・演出ケラリーノ・サンドロビッチ
まったくコントに近い感じだった。でも好きです、こういうテイスト。笑いに走りながらも、「お笑い」と違う。カーテンコールでケラが出てきたのはちょっとびっくりした。客席にもおーっと歓声。なんだか儲けた気がした。
大倉孝二はホントに素敵な役者だなぁと思う。友達に欲しいぐらい。
その後は、カフェで談。楽しいひと時でした。

今日は写真のクラスへ。
先月大判で撮ったものを皿現像する。これってタンクの攪拌現像よりラクやなぁ。ただ手を液体につけっぱなしだから冬になるとキツイだろな。教えてもらった写真家の方は、ハンガーを使って、手を使わずにやってるそうだ。なるほど。
自分自身のポートレートを大判でクラスメートに撮ってもらっていたのでそのネガをもらう。遺影にちょうどいい。
そう喜んでいると、先生に君はまだ事を成していないのに遺影?といい感じでプレッシャをかけられた。
それはさておき、遺影ぐらいは自分で撮り、プリントしておきたいとホントに思う。それが自分の最後の写真であり、葬式は他者と写真でコミュニケートする最後の場であると思っているからだ。

川崎市民ミュージアムの学芸員深川雅文さんの書いた「光のプロジェクト」(青弓社)を最近読み進めている。この方の写真評論は、歴史的な文脈を踏まえ、近年の動向を読み、次代の写真はどうあるのかを丁寧に論説する稀有な方だと思う。感覚的でなければ、学術でもない。写真の見方というものをどう伝えたらいいのかが大きな活動のテーマにあるのでは?と思えるぐらいだ。そのなかでルイス・ボルツのシリーズを取り上げて、ボルツの活動を通じて、人が風景を写真として撮るという風景との向き合い方に変化をもらしたことを述べている。
(以下、引用)P196
「この新たな傾向の風景表現は、作者と対象の単純な二項対立の上に成り立つのではない。視覚的な外観と媒体あるいは跳躍台として、見る者の想像力を意識や精神と呼ばれるような表象や思念のより広い領域へと解放し、そこにはたらきかけるイメージの創造こそがその動向が切り開いた表現の豊かな地平なのである。言い換えれば、そこでは、「場」の外観はなにか普遍的なもののシンボルとして作用するものではない。そうではなく、「場」はなにか目に見えないあるものを視覚を通して告げ知らせる「徴候」としての役割を果たしているといえるだろう。」
(引用終わり)

こうしたボルツの写真は、見せることを創造している。以前のエントリでも書いたけど、その視覚を通じて、なにか見えないもの、その風景が存在することの時代、社会、風俗、などなど告発的な意味でなく、空間を取り巻く状況すべての背骨を掴むような何かがある。
だから、最近はボルツの写真集に釘付けである。しかし、それだけでなく、ボルツは写真の展示の方法も面白い。
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by stoneroses8010 | 2007-11-04 23:48 | photo
2007年 11月 01日

講師から教諭

PCの調子がすこぶる悪い。ワードのアイコンをクリックして、立ち上がりまで30秒ってどうよ。

先々週の日曜は写真のクラスで太田順一さんのレクチャ。
写真云々というよりも、ハンセン病関連のレポなど、被写体の諸事情に関する話が多く、社会学的な展開だった。私個人では、「化外の花」という大阪郊外の荒地に咲く花を取ったシリーズが好きで、その場も含め惹かれるものがあった。
個人的になぜか、更地や荒地、とくに都市のエアポケットのようにすっぽりと開いた忘れ去れたようなスペースが好きである。そこには、なにが起こっているのかわからない、はたまたなにが起り出すのかわからない奇妙な高揚感に捉われるものがある。
ルイス・ボルツの作品でアメリカの工業化が進みつつある中の荒地や創造過程にある建築物があるエリアを撮っていたシリーズがあった。そこには、被写体の告発的な意味合いよりも、なにか社会のなかで、進み行く歴史的文脈のなかで、その背骨をぐっと掴み取ったような確かなものがある。そういった作品はものすごく強い。

この間、久々に服買って、映画(「クワイエットルームにようこそ」)を観るという休日を過ごし、新鮮な気分になった。
その後、夕食食べて帰るかどうか思案していたら、バッタリ友人と会う。そのコは、学校の講師をしていたのだが、このたびめでたく教諭として試験に受かり、採用される運びになったという。4回目の挑戦でやっとつかんだものだったので、喜びもまた違うと思う。私も我がことのようにうれしかったが、なによりも、働きながらもなりたいものになろうとするバイタリティが刺激になった。(一年前の失敗のヘコみようを知っているだけにである。)

フィルムと試しのプリントは、堀内カラーで出す。どうもネガがアンダー目で仕上がっているような気がする。そんなことよりも、2日に1回は行っているので、いい加減顔覚えられてきて、なんだか少し恥ずかしい。堀内って基本的に法人相手だけに個人で通ってたらそら覚えるわな。
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by stoneroses8010 | 2007-11-01 02:09 | その他