<   2008年 03月 ( 4 )   > この月の画像一覧


2008年 03月 30日

写真ゲーム UBSコレクション

以前のつづき。
3月下旬。また関東へ。
「写真ゲーム」@川崎市民ミュージアム。
学芸員の深川雅文さんが著書の「光のプロジェクト」でも取り上げているように「ゲーム化」しつつある写真の現状を扱った展示。
写真のゲーム化とは、澤田知子が自らの証明写真で木村伊兵衛賞を取ったことを例として、
(以下、引用)
「澤田の作品では作家自らは写真を撮るということはない。また、一種のコスチュームプレイの要素が作品の本質をなしていて、その意味でゲーム的な性格が際立っている」(p272)(引用終わり)
と指摘する。
つまり、「遊戯的な」表現。撮影が作品を成立させているゲームの一部として組み込まれ、世界から受け取ったものを自分のなかで消化し、構築したルールで再構成するという仕組みである。詳しくは著書にて。かなり面白い。

といった予備知識があって、遠くから豪雨にもかかわらず徒歩で、傘がぶっとんでも行った。
けど、どうしたことか。ギャラリーのなかの展示の構成がよくわからん。おまけに、キャプション類がわかりにくいので、どこからどこまでがその作家の展示になっているのか最初はよくわからなかった。屋代敏博さんや北野謙さん、石川直樹さんらの作品は、すでに既知だったので、観る事に困らなかったのだが。
正直、ピンと来なかった。

川崎から東京に戻り、森美術館にて「アートは心のためにある UBSアートコレクションより」を観る。
UBSアートコレクションなるものがどういったものか詳細はわからないが、リキテンスタイン、ウォーホルらのポップ、チャック・クロースらのオプ・アート、ゲルハルト・リヒター、写真では、杉本博司、畠山直哉、グルスキー、トーマス・ルフ、カンディダ・へーファーなどかなり私好みの作品が並ぶということなので、狙って行った。
森美術館はホントにキュレーションがうまいなぁと思う。様々なコレクションから、ちゃんと筋道を立ててセレクトし、全体の作品のバランスを取っている。で、それがわかりやすい。
展覧会の構成は割愛。知りたい方は、行って下さい。
気になったものとして。

アンドレアス・グルスキー
グルスキーの作品の素晴らしさはもういいとして、新たに気づいた点としては、「排除により、脱意味化をはかる」ということだ。つまり、サッカーのグランドでのプレイしている図を俯瞰する写真では、ボールというものがまずない。選手もあらかじめ配置を予定されているかのように点在する。それは浮遊したもののように。ここでは、サッカーということを認識させながらも、我々がサッカーと認識させる視覚的ルールを一つ一つ排除して行くことによって、意味を脱し、すべてがなにかを暗示させるような記号となり非現実な空間を作り出す。
一方では「99セント」のような過剰さを演出することで、その過剰さが現実の概念を構成していると想起させながらも、その色彩からかなにか非現実な感覚になる。

マッシモ・ヴィターリ
ビーチ、遊園地、ゲレンデなどレジャー文化の現場を撮影する写真家。ここではビーチが題材となる。2分割された大きな画面に、広がるビーチ。一点透視図法で、ビーチとそこに寝そべる多くの人、海、建物が、一点に収束していく。個というものがいかに騒がれようが、ここでは人は画一的なことしかできないという現実(みんな同じ向きに寝そべるだけ)
俯瞰視した人間観察。

トーマス・フレヒトナー
雪が降り積もり、時が止まったかのような夜の街。電灯による色彩と雪の覆い隠すような街へのコーティングは、現実感がない。凍結・沈黙した風景。その場に立っている作者は、孤立した存在。絞りこんでいるのかと思ったけど、被写界深度は浅くして、長時間で撮っているとのこと。大判でしょうね。

ウォルター・ニーダーマイヤー
スキードームの写真、アルプス山頂の柵が張り巡らされたところに立っている観光客。
それらから『「消費されているものが何なのかは完全にはわからない」消費者の欲求が曖昧になった場所』を撮っている。
スキードームは、人工部分を遠景に、そこで滑っている人を近景にしている。人工の周辺は人を完全に統制しており、そこの中にいる人は、ただ、器の中の水に浮かんだもののように浮遊するだけ。
観光地化した自然でもそう。何か統制された器が合って、観光客がただその中を彷徨っている。器のなかの人の漂い方は、画一で記号化されている。面白い。

ツァオ・フェイ
工場で働く中国の出稼ぎ労働者の映像。ただ、ドキュメンタリではなく、たとえば、夢を持っている若者が職場である工場で、その夢を体現するもの。工場の在庫の棚の通路の中央で踊るダンサーとか、生産ラインの真っ只中でギターを弾く青年とか。真正面から撮っていて、写真的。その人の過去、現在、未来が想起できる。

チェン・ジエレン
台湾の女工の映像。工場の中での映像だが、これもドキュメンタリでない。かつて台湾は、低賃金労働力を利用して、欧米諸国が競って工場を立て生産を開始したが、やがて、さらに低賃金で労働力を提供できる国に取って代わられて、これらの工場は、軒並み廃業に追い込まれている。そこで取り残された労働者(年配の女性)がその工場で、作っていたものを広げたり、椅子を組み上げたり、がらんどうの廃墟のような工場でテレビを見たりとかなり幻想的。

(続く)
[PR]

by stoneroses8010 | 2008-03-30 00:19 | arts全般
2008年 03月 25日

写真の美術・美術の写真 アニー・リーボヴィッツ

長い間、更新をサボり気味。まぁ、いろいろあったというわけで。

大阪市立近代美術館心斎橋展示室で「写真の美術、美術の写真」の担当学芸員による公開レクチャがあったので、それを聴きに行った。もちろん展示も観れたが、それ自体は、あまり驚きもなく。
森村泰昌ややなぎみわの作品に対して、あの展示室小さすぎる。杉本博司の作品も、もったいない置きかたしているなぁと。
さて、レクチャですが、今回の展示の後に続く表現のあり方がどうあってというよりも、学芸員たちはどう見ているのかを知りたくて聴きに来た。
レクチャの内容自体は、1930年代からの世界、日本の写真のあり方をスライドを観ながら進む。ストレートフォトグラフィ、シュルレアリズム、ジャーナリズム、フィールドワーク的作品云々。まぁ、このあたりは置いておくとして、1990年代以降、どう見ているのという話だ。
学芸員の方が言うには、デジタル系メディアにより通信が容易となって、参加型、レポート型のプロジェクト作品。現代美術と映像と写真の境界があいまいとなって、写真から「創る」作品。そして、ストレートフォトグラフィ(森山大道など)の逆襲などと大別されるとのこと。
ここで、印象的なのは、たとえば、澤田知子の、撮るという行為とできたものだけでなく、コスプレをすることにある行為に意味を持たせ、そしてそれをなぜ撮るのかということまで深く入り込んで、写真を撮る(この場合は、写真を撮らせるだが)という作品のように、つくる、撮る、撮らせるという行為自体に意味を含ませる「創り」、身体行為自体が作品として成立しつつあるということである。
他の作家では、撮ったものを描いて、それを撮って、またそれを描いてと繰り替えし、ビジョンの差異を見せるものもある。その作品自体のビジュアルの関係性もあるが、ビジュアルが生まれでた行為すらも見せることができる、意味を持たせる作品も写真としてある。

その学芸員の方は、安村崇さんの作品を観ては「気持ち悪いけどいい」と表現するように、「気持ち悪いけど」とよく使っていたように思う。それがいい悪いじゃなく、学芸員として観る側の率直なコトバだろう。それが妙にアタマに残った。

あと、和田問題にかかる杉本博司さんの話もあったけど、各ブログで既出なんで置いておく。

次。
映画「アニー・リーボビッツ レンズの向こう側の人生」を観る。写真家 アニー・リーボビッツのドキュメンタリ。
被写体の世界に入り込む若き時代。要は被写体と深い関係性を持つぐらい参与し。リーボビッツ自身の個のドキュメンタリとして撮って行くこと。
記録に徹し始めた「地に足のついた」その次の時代。戦地サラエボや家族を見つめる。
敬愛するスーザン・ゾンダグに対する親愛なる眼差しとその喪失感の表現。
仕事としての商業写真。
彼女は、その場でその被写体の何を撮りたいのか、それをどう受け入れ、どう表現をするのかということにすごく忠実だ。
そして、記録系はともかく、(商業写真は顕著だが)アンダーにして、硬く、色のりも重い写真が多いなと思った。写実はちがって、イメージをどう平面にのせていくのかということ。自分が被写体のこの部分を撮りたいということであれば、それをわかりやすく見せる。

次。
東京へ。狙いは撮影ももちろんだが、川崎市民ミュージアム、森美術館、東京都現代美術館。表参道のgallery white room tokyo、ギャラリー冬青。(続く)
[PR]

by stoneroses8010 | 2008-03-25 23:00 | photo
2008年 03月 10日

ひとまず、区切り

展示がおわりました。
週末は、各方面から多数来ていただいて、色々な意見やアドバイスをいただきました。
自分の見え、身体感覚、アプローチ、痕跡、思考。そのすべてを伝えていこうとするならば、もっとわがままであって、もっと極端であったほうがちょうどいいことがわかった。
そして、それを観てもらう人に(サービス精神と言ったらおかしいけど)、よりわかるように、予備知識ゼロからそれが100に近づくようにするには、自分自身のコンセプト、ビジュアライズ、見せ方を300ほど出すぐらいがいい。
わかっているんだけど、それが実行できてない。

知り合いの写真家の方には、そういった点プラス、人間の目で見せるのではなく、機械の目で見せる系統の作品だから、もっとクオリティを高くしないと…との注文を受け、ギャラリストの方には、これはこれでいいけど、今後はもっとなぜなのかという根源的な問いを突き詰めていく必要性をアドバイスしていただいた。
作家の方には、ルールを作って世界を観るんじゃなく、世界を受け入れる姿勢の重要さを説かれた。
久々に会った大学の先輩からは、空間の使い方をもっと上手く、これじゃもったいないとご指摘を受けた。

どれもこれもありがたいご意見。

最近思うのは、自分の写真で世界をどうこうしてやるとか、ものの見方を変えてやるとか、そんなこと、マジどうでもよくて、それよりも、展示という形態で観てくれる人、あるいは、雑誌やその他の媒体で観てくれるであろう人に、いかに自分の表現をよりわかるように伝えていくかということがすべてのような気がする。
観てもらってなんぼであるので、いま、その場でやるべきことをやることですべてがつながっていくような気がする。

本当に貴重な機会でした。これだからやめられない。
課題も見えた。まだまだ、いける。
[PR]

by stoneroses8010 | 2008-03-10 00:21 | photo
2008年 03月 06日

展示中

ちょっとひと段落つきました。ただいま、展示の最中です。

日曜は搬入。実は、搬入、祭りのような雰囲気が好きで普段使わない筋肉酷使したため、終わった後はもうカラダがガタガタ。いい疲労感ではあるんだけども。
前日に本を返すついでに、いつもお世話になっている写真家の方に、今回出す作品のことを少し話したら、「んー、まぁまぁの大きさじゃない」とのこと。
それなりにはしたけど、やはり会場で見ると「まぁまぁ」かも。
まあ、私としては、コンセプトなき大きさはムダにデカイだけなので、計算はしている。

火曜は院の時の友人が見に来てくれて、いろいろお話。自分の作品に対しても、他の作品に対しても、気づかないところを色々指摘してくれて、かなり新鮮だった。
その後も、少しお茶して、いろいろお話。楽しいひと時でした。
別れた後、地理的にも時間的も、「≒草間弥生」が観れる!と思ったので、さっそく映画館へ。
草間弥生のドキュメンタリ。時々、草間弥生が自分の詩を朗読するのだけど、詩の内容が素晴らしくて、目を閉じて聴いていたりした。普段からわかっているハズなのに、彼女の作品の曲線的な部分がやたらと目に付いて、グリッドを好んできた私にとって、グリッドのなかに曲線をくんずほぐれつしながら集約させていくことって単純に面白いなと思った。

水曜。職場で数少ない私はこういうこともしているということを知っている友人らをギャラリーに連れて、仕事帰りに写真を観てもらう。以前も見てもらったことがあるのだけど、今回は以前よりも好感触だった。わかりやすかったというのもあるだろう。
その後、飲み。私自身、久々に飲み。酒で酔う時間がもったいないと思いつつも、たまにはいい。

木曜。大丸ミュージアムで、「20世紀の巨匠」と銘打った展示を観に行った。たいそうだが、要はキャパやアンセル・アダムス、ケルテスら20世紀のメジャーどころの展示。そうとは予想しつつも、やはりプリントが観たくて行った。
最近、思っていたけど、やはり絶対的な白って不要かもと思った。まあ、ごくわずかな部分で絶対的な白はあるんだろうけど、それが目立つのって、少なくもとも今の私にとってはどうなのかなと。エルンスト・ハースのカラーは、今主流の明るく淡いカラーの真逆でそれがなにかものすごく新鮮に見えた。

コトバにする、人と話す、触れる。その場の空気。そのコトバになる前、もしくは後、ただ撮る。そういう身体と一体化したやり方がうらやましく思える半面、なんだか疑問にも思ったりする。私はそういうスタイルじゃないので。けど、それがコンセプトとしても、造形的にもバッチリと決まった時、とてつもない強さがある。
だったら、私はなぜそうしないのだろう。いったい何をしているのだろう。
ただ、その空間に対しての身体感覚、記憶、見え。対峙しているもののアプローチの痕跡、そんなものを機械の目によって再構築をしている。手段は異なれど、多少ベクトルは近いのかもと思ったりもしている。
今回出しているものは、実験的でもあり、反応がすごく楽しい。ある人には「ただの○○じゃん」とその人の視覚経験の中に納まってしまうこともあるだろうけど、それはそれで一つの感想として貴重でもある。
一方で、いやいや、わかりますよと感想を残してくれた全く知らない人もいたりして、今後どうするかを考える上で、重要な時間になりそう。
さらに観に来てくれる人が増える週末が楽しみである。
[PR]

by stoneroses8010 | 2008-03-06 23:42 | photo