確証はない。それを信じるしかない。

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2008年 04月 13日

プロセッサが遠のく

写真クラスのパーティ。
映像クラスのコンペ受賞作品などを観たり、自分の作品のプレゼンをしたり。

作品のプレゼンにも慣れてきたもので、どのような時間を与えられても対応できるようになってきた。指導していただいている写真家の方からは、とてもわかりやすかったとのお言葉。
お世話になりました。

その後の、飲みでは、仲間の一人が、ついにカラープリントを自宅で出来るようにすべて買ったとのこと。聴けば、プロセッサを作っているラッキーはケンコーに吸収されたらしく、いまや、カラー引き延ばし機、プロセッサは値段が2,3倍になっているらしい!
要するに、欲しけりゃ作って売ってやるという商売。ぐう。

銀塩。なくなることはないと思うけど、印画紙の販売が中止になることも多く(コダックのエンディラも中止になるとか…)、行く先が不安。
杉本博司さんは、イルフォードが印画紙生産をやめないように、生産ラインを止めずに済む印画紙の量をイルフォードから買っているらしい。

翌日、知り合いのギャラリストの方のギャラリーに、顔見せがてら行ってみる。
そこでは、写真の展示が当然のようにやっていたのだが、興味深かった。
人間の視覚、こう見えるということをいろんな工夫で見せているようなもの。
色、ぼけ、フォーカスがボケていく連続写真。これはこれで、この人にとっての見え方なんだろう。身体感覚。展示の構成が上手く、単体で見せる方法、三枚連続で映像を見ているかのように見せる方法など、よく展示を勉強していると思った。
映像、絵画、写真それらを写真でありながら分けて展示している感じ。
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by stoneroses8010 | 2008-04-13 16:43 | photo
2008年 04月 12日

Joel Meyerowitz!

以前の続き。
ギャラリー冬青 城林希里香「Lines」
北米50州の地平線の様々な写真群。コンセプトにもあるように、このLineが地球を形作るということ。そこにいる自分。自分とこれらの風景との対話。
その人独自の撮り方があるというわけでないのに、惹き付けられる。
なぜだろう。それはコンセプトと写真の距離感が近く、わかりやすいためか。
たまに、コンセプトと撮っているものがかけ離れて理解に苦しむものも多いなか、これらの作品は、コンセプトと作品が薄皮一枚で一体化しているようだ。だから、撮り方がどうであれ、「自分」が表面化してくる。
正方形フォーマット 400×400ぐらいか。

Gallery White Room Tokyo  Joel Meyerowitz  "The Elements: Air/Water Part1"
Joel Meyerowitzの新作展。素晴らしかった。
飛込みのダイバーとプールが被写体。当初、Meyerowitzは、ダイバーのビデオ監督をしていたところ、ダイバーが飛び込むことによって、水が気泡となり、気泡が大気に戻る。ひとつの要素が別の要素へと変換されていくことに興味を持って撮り始めたという。
ここではダイバーは水から大気へと変換される媒介としてしか存在していない。もやは、ダイバーさえもなにか一つの要素として、自然の一部として交じり合っているような感覚。
白い壁のギャラリーにプールの水の色が寒気がするぐらい映える。
撮り方がわからない。明らかに水中から撮ったものもある。Meyerowitzは8×10使いのはず。水中に8×10?。まさか?ギャラリーの方に聴いてみたが、わからないとのこと。
要素。そんなことに気を留めたことがなかった。でも、私たちが生きている限りどの要素も欠かすことはできない。大気、水、土、火、どの要素も単体だけでなく複雑に交じり合うものもある。
さっき、城林展ものは地球の要素と大気の要素がLineを形作っている。
要素の交じり合いはやがて、モノとしての意味を外す。そして、溶解したその先から、異世界が姿を現す。
もう一度言う。素晴らしい。

東京現代美術館で川俣正展とMOTアニュアル2008を見る。
MOTアニュアルは、我々の世界を形作る境界を解体して、再構築することをテーマに、インスタレーション、写真、刺繍、絵、オブジェと様々な展示が5人の作家によって手がけられている。どの作家も共通していたのは、そうして境界を解体し、再構築することで、我々を支えている現実の概念の何に焦点を当てようとしているかを突き詰めていることだ。
金氏の作品からは、世の中一つ一つの物として存在し、空間を形作るものは、実は一つの塊として存在しているのではないかと思わせる。それだけ物事の境界というのはあいまいであり、現実はそれで成り立っている。
手塚からの作品は、刺繍の内部から見える織物の材料の多様性から、モノが一つ成立するということは、宗教や文化、歴史を横断して成立するということを想起させる。

自分が感動するとか、面白いというのは簡単だが、それが何故なのかということを突き詰めることが大切。そこには、自分のリアリティを支える五感が隠れているように思える。
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by stoneroses8010 | 2008-04-12 03:31 | arts全般