確証はない。それを信じるしかない。

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2009年 01月 20日

さて、大山崎

「さて、大山崎」山口晃展
山口晃が山崎山荘美術館で、山崎やその美術館ににちなんだ作品を展示する。
「惟任日向守図」「羽柴筑前守図」のように山崎といえば天王山というように土地にちなんだ武将図に、実は兜がワインオープナーというようなちょっと現代的な考証を盛り込んだものや「大山崎交通図」のように山崎の近未来の妄想を、洛中洛外図のような風俗画のテイストで、近未来と過去が入り組んだファンタジーのような絵が並ぶ。

その他の絵にもいろいろ仕掛けがあって、見入る。
「邸内見立 洛中洛外図」では、洛中洛外図のように、京の寺など記した図を俯瞰的に描いているが、仁和寺には「みんなぢ」とあってそこには「ぢ」と思しき方々がトイレに列を成している。
といったように「ダジャレ」といってしまえばそうなのかもしれないが、ユニークさを日本風俗画のなかに盛り込んでおり、いろいろ探してしまうのである。

「見立て」もこの展示の特徴で、新館では、美術館の壁のシミや傷をなにかに見立てて、そこを四角のスポットライトで浴びせ、作品とする。
たとえば「二十面相」のように、山口本人が「二十面相がマントを翻したところ」のように見えたということをタイトルにし、作品としているのである。
強引かもしれないが、なんだかそう見えてしまうのはなぜだろうか。
ここでしかできない展示。見立てによるもの。から出てくる面白いアイディア。
「見立て」で、思い出したが、「門前みち 軍艦」という鉛筆書きのものがあって、一方に軍艦を、一方には門前町のなかで「軍艦のように見える」ものを切り出し並べている。
自分の視覚的興味をいじっていき、それをなにかに見立てて作品として成立させている。
ちょっと考えさせられた。

大山崎版の「すゞしろ日記」
軽いタッチで、思ったことや行動をつらつらと書き連ねていくもので、大山崎で展示するにあたってのエピソードが主題となっている。鳥獣戯画や北斎漫画を思い出してしまうのはなぜだろ。

やっぱり「見立て」というのは、面白くて、ようは自分が「こう見える」ということを抽出したものだ。
それは、まず、意識されないイメージ(見え方だけでなく、この花はこんな匂いするんだろうなという五感にかかわるもの含め)が自分の中にまずあって、実際に目にしたときに、「こう見える」という交信が自分の視覚経験とイメージの間でなされ、それを形にしようとする作用なのかもと思ったり。

Tシャツと図録を買っておく。
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by stoneroses8010 | 2009-01-20 22:20 | arts全般
2009年 01月 13日

年末は映画でした。


年末にやったことと言えば、写真を焼くことと映画見ること、大掃除、忘年会。

暗室で友人と一緒になり、お互いたいそうに考えてもないのに、来年の抱負を言い合う。
ほぼ妄想に近い。焼きおさめ。

映画は「未来を写した子供たち」「トウキョウソナタ」「青い鳥」
「未来を写した子供たち」では、インドの赤線地帯に住むこどもたちに写真家がワークショップ形式で写真を教え、
表現することとその可能性を教える。
教わった子供の一人(彼は、その後ニューヨークの大学で映像を学ぶことになるのだが)が、写真の国際大会みたいな
ところで、一枚の写真について、感じうるところを語りだすシーンがあって、その表現の巧みさに凄味を感じた。
そんなに教わって、年月もあるもんでもないし、子供のいうところだが、リテラシーの瞬発力というのか、反応というのか
そういったものは必要で、一枚の写真を強くしたいなら、一枚にどれだけ感じうるところがあって、それをどう言葉にして表現できるのか
ということは筋肉としてつけておくことも大事と思った。

「トウキョウソナタ」は年末でレイトとあってか、私一人。はじめてじゃないのか、独占。
経済や社会の変化によって、一戸建ての核家族のそれまでよしとされてきたような価値観が揺らいでいる現在を
見ているような気がした。それはある意味痛快であり、ある意味外因的なもので簡単に揺さぶられる怖さをはらんでいる。
いや、違うかもなぁ。仮に父親が、リストラされずに給料もらって、家に帰ったとしても、長男は海外に行っただろうし、
次男はこっそりピアノをならい、母親も同じような気分だったかも。
どうであれ、家族はお互いを知らなくなってきているのだな。そして、お互いのことを話せなくなってきているのかな。
俺はこう思うとか、言い合うんじゃなくて、ああ、もうわかんないだろうなぁと言って、話すことをショートカットして
コミュニケーションをシャットアウトしちゃう。
でも、ミクシィとか、バーチャルなコミュニケーションの場では、結構ぶっちゃけたりする。
SNSは話す相手が、実物を知らない限り、イメージでしかないのに、そのイメージの相手に対して、ぶっちゃける。
でも、そばにいる実体ある相手には、ショートカットしたりする。
たぶん、長男もイメージだけで、海外に行くものだから、実際に異なる現状を見て違和感を覚え、最後に実態と向き合うために「海外に残って考える」ことを選択する。

「スクラップヘブン」という映画で、オダギリジョーが、想像が足らないために、どうでもいい事件が起こると言うシーンが
あった(ように思う)
これは、(実体どうしの)コミュニケーションで、互いのことをもっと想像しないために(まあ、こういったら怒るかなとか、
こうしてほしいのだなとか)、フリクションが起きるということをいっている。

実体どうしのコミュニケーションでは、イメージがおぼつかないのに、どうしてバーチャルなコミュニケーションではこうも
イメージをもって、コミュニケーションするんだろう。いいか悪いかも含め、よくわからなくないけど。

黒沢清さん、アエラのなかで、面白い予言してたな。

「青い鳥」
事件の起こった後、先生のとった態度によって、生徒たちの心が揺らいでいく、動いていく。
これといったことは起こらないのだけど、心のゆらぎだけで表現できる映画っていい。
間に挿入していく映像が空気感を作る。
「天然コケッコー」もそんな感じだった。
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by stoneroses8010 | 2009-01-13 23:16 | 映画
2009年 01月 07日

津田直 ブラジル現代美術

年は明けましたが、昨年末の話。

見たい展示があったこと。大学時代の後輩に会うこと。という用事があったので東京に向かう。
気づけば、3月にジョエル・マイヤウィッツを見に行って以来。
展示は清澄白河にタカ・イシイギャラリーやらhiromiyoshiiやらギャラリーが入ったビルがあり、そこでまず「津田直展」を見る。
津田直さんは若手の中でも思索に富んだ写真家で、最新のフォトグラフィカでも「写真は世界の翻訳をする行為」と言っており、面白い。
ここでは「漕」関連の作品が多かった。
次に谷中のscai the bathhouseという昔の銭湯を改装してギャラリーにしたところに行く。
ここではダレン・アーモンドという写真家の個展を見る。
若狭近辺の海岸を月光のみで撮るというもので、色数が少ないせいか水墨画のように見える。その時の時間が想起できる。
その後、銀座の資生堂ギャラリーに出て、
そこでも津田直展を見る。ここでは写真集にもなっている「SMOKE LINE」の展示が見れる。
コンセプトを特化させるために、あくまで色にひっぱられないようにしている。構成は上手だなぁと思う。が、ラムダなのかな。
空がとんでいるし、なんだか焼きが硬い。写真集のほうがまだ、絶妙のトーンが再現されているように見える。
その後、銀座で後輩と待ち合わせして、飲む。そして、情報交換。
ライトジェットプリントの話とか、格安でドラムスキャンできる話とか。プロセッサがやはり欲しくなる。デジタルが進むからこそ、逆に欲しくなる。
1泊して翌日は写真美術館で「柴田敏夫」展を見たのち、東京都現代美術館で「森山大道 リゲル・ミオ・ブランコ」展をみる。
日本とブラジルの作家が互いの国を撮るというもの。

こうすると互いの物の見方がより明確になってきてくる。
森山さんは対象との間の空間をも撮っており、肉体的である。撮っているときに何に目がいってどう反射しているのか
が想像できる。肉体が見える。
リゲル・リオ・ブランコは、展示方法がコラージュっぽいのも手伝って、自分が見た対象の視覚的興味をいじっていく
色やら妖艶というものに引っかかりがあれば、それを即物的に複写したのち、見え方を工夫して見せているという感じ。

現代美術館では「ネオ・トロピカリア ブラジルの創造力」展がやっていたのでそれも見る。
大阪では「アバンギャルドチャイナ」で中国の現代美術を、そしてここではブラジル。森美術館ではインドの現代美術をいま取り扱っている。
すべて、アンテナに掛かるなぁ。

ブラジルの現代美術は、私が好きなエルネスト・ネトもそうなのだけど、総じて身体と美術、色、音の融合を目指しているようなところがある。
メモをなくしたので、細かなことは書けないが、アシューム・ビビッド・アストロ・フォーカスは、色彩の激しい壁のある空間で、一つの壁をつか
って映像を流す。その空間からは15種類程度の音楽を発信している無線機があり、見ている人はヘッドフォンを渡され、そこに寝そべって、各々
が場所によってキャッチする異なった音楽で、同じ空間のなかで、同じ映像を見るというもの。
場所を変えることによって流れる音も変われば、見えるものも異なってくる。けばけばしい色の空間も左右してか、トランスする。
しかも寝そべっているので、なかなかそこから離れられないのだ。一体化を身体で感じる。
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by stoneroses8010 | 2009-01-07 01:28 | arts全般