確証はない。それを信じるしかない。

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2009年 03月 25日

山 フィルム 身体性

いろいろ多忙だったわけで、長く期間があいてしまった。
山が本格化しはじめて、2月末には初雪山に挑戦。
先日の連休では九州の山々(高千穂峰、久住山)のダブルヘッダーに完勝。
と、自分でも不思議なくらいやめられんようになってきてます。我ながら狂ってると思う。

○京都にあるタカ・イシイギャラリーと小山登美夫ギャラリーに初めて行ってみた。畠山さんが個展やっていたため。東京にあるギャラリーと同様の雰囲気。どちらかというとニューヨークにあるチェルシー地区のギャラリーの雰囲気に似ている。

○友人が東京芸大の大学院に行くとのこと。しかも通学。深夜バスで通うらしい。健闘を祈る。

○とあるギャラリーの方から個展の依頼があった。ものすごく嬉しかったが、どう考えても間に合わないタイミングだったので、パスした。残念。こういうときの機動力が本当に今欲しい。それでも、今後付き合っていけそうなギャラリーではある。すいません。

○単独で山に登るといろいろ考えるわけ。自分がなぜ、コストもバカにならないフィルムを使っているのか。ずっと考えていた。
写真はデジタルになっていく。杉本博司さんは銀塩は終わったと言った。それでもフィルム。
フィルムは、ビジュアルとして階調や硬さなどがデジタルとは違うといわれるし、実際に私はカラープリントを暗室でもやるし、デジタルでも出力したりするので、それはわかる。でもそういった目で見える点を指摘しても、自分のなかでは違うなと思う。
フィルムは痕跡という人がいる。つまり、ひとコマひとコマが自分の足跡であり、物として残ると。じゃ、なぜ足跡を残すことがフィルムにすがる理由になるのかと考える。
足跡の読みやすさ、身体のフィット感がフィルムが優っている思えるからかな。
写真に無駄なものはなく、最後はセレクトによって作品として成立することがある。セレクトするということは、自分が撮ったものの履歴を読むということである。読むことで自分の記憶、体験と向き合って、ビジュアルとして再構築して他者とコミュニケーションを取ろうとする。デジタルでもやろうとすれば可能なんだろうけど、撮る、観る、読む、セレクトという過程がフィルムのほうがやりやすく、頭でっかちにならずにすむ。デジタルは読む前に、自分の考えが入り、読むことなく自分のなかで違う自分を発見することなく、勝手に取捨選択してしまう。
そう考えると、自分という身体性と密接であって、よりフィットするものを求めてのフィルムなんだと思う。身体から湧き出るものが残り、それをなんとか伝えようとしている。機器の選択もそうだし。
私小説的な写真を撮らずに、ベッヒャーやらグルスキーのような写真であったとしても、それを撮るきっかけは、世界と向き合って、受け止めたものがあって、それを形にしようとした結果だと思う。身体から出てくるという根本は一緒。
デジタルのほうが合うという人もいるんだろうけど。でも、私はフィルムの時代に生まれて、そして遊べてよかったと思ってる。

○身体性つながり。
この間NHKでやってた「日本のこれから」というテレビ番組を見た。
お題は「テレビのこれから」というタイトルで、テレビ業界のプロデューサやディレクターらと、一般の方、糸井重里などが生で3,4時間近く「テレビのこれから」について、語る番組。
ここの番組でも指摘されていた若者の「テレビ離れ」に入る私も、テレビのことなんかどうでもいいと思っていたけど、つい見入った。
そこで面白いことに気づいた。一般の人は忙しいから見れない。オンデマンドでやっているからいつでもどこでも見れるコンテンツを求めている一方で、業界の人は、そのとき、その場でやっている番組を見てくれと純粋に思っている。つまり、この時間帯、このタイミングや予算という制約のなかで作り手が試行錯誤して制作しているものを受け取ってほしいと。いい例えかどうかわからないけど、DVDでいつでも見れることよりも、映画館で2時間暗闇のなかで拘束されて、見る側にじっと入り込むことを求めるようなものがあって、それに対して、一般視聴者はメディアやネットでもっとコンテンツやらチャンネルやら増やしてやってよ。ドキュメンタリやら感動できるやつもやってよとのこと。
業界の人は、今までテレビが不特定多数の視聴者により添いすぎたため、無難に可も不可もないような二番煎じの番組を大量生産して、テレビが面白くなくなってしまったという。

情報を伝える手段がもう多様になったから、伝えるだけではテレビの独自性はもうないわけで、そうなるとテレビとしての表現が欲しいなと思う。ネットの即時性やらニッチに入ったものに勝てるわけないので、そこで争ってもしかたないので、寄り添いすぎたというなら、離れて自らの表現を見せてほしいと思う。スポンサーのこともあるだろうから冒険なんだろうけど。
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by stoneroses8010 | 2009-03-25 01:38 | 我思ふ